横山秀夫、警察小説を語る

横山秀夫、警察小説を語る 「書くエンジンは、主人公の心にある」

 今から20年前の1998年、衝撃的な警察小説が刊行された。横山秀夫氏のデビュー作『陰の季節』である。刑事を主人公とせず、警察の管理部門に属する人々の葛藤を描いた本作はベストセラーとなり、第2作『動機』所収の「動機」は、第53回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞した。さらに、本格ミステリーであり、刑事小説でもある『第三の時効』は、「この警察小説がすごい! ALL THE BEST」第一位に輝き、横山氏の最高傑作だという声も少なくない。最長長編の『64』は、日本人作家の小説として初めて、イギリスのインターナショナル・ダガー賞(翻訳部門)の最終候補五作に選ばれ、高い評価を得ている。読者に驚きと感動をもたらす作品群はどのように生み出されたのか。警察小説の第一人者である横山氏の創作の秘密が明かされる!

 

「警察組織は最適の舞台装置」

──警察小説の強みは、どこにあると思いますか?

 事件、犯罪と名の付くものなら何でも取り込めて、それを足掛かりに人間の内面に分け入っていけるところですかね。ただ私の場合は、警察内部のゴタゴタを「事件」と見なす作品が多いので、警察が完全無欠の組織体であることが何よりの強みというか魅力だと思っています。究極の組織体は軍隊でしょうが、警察にもそれに準ずる厳格さと閉鎖性がある。それでいて、上司と部下の関係性など一般の企業や団体の葛藤も丸ごと内包しているので、警察という特殊な世界を描きつつ、普遍的な物語に昇華させやすいという利点があります。要は、個人の内面を炙り出すうえで、警察組織は最も適した舞台装置だと考えているわけです。

──小説を書く、もともとのきっかけは何だったのでしょうか?

 作家になる前はバリバリの事件記者で、それが天職だと思っていた時期がありました。でも、私はジャーナリストとしての正義感や使命感が足りなかったのでしょうね、次第に息苦しくなっていったんです。紙面で犯罪者を断罪したり、世の不正を追及する資格が果たして自分にあるのかと悩み、十年続けたころには、記者という仕事は「よほどの善人かよほどの悪党でなければ究められない」と思い詰めていました。フラストレーションも溜まっていましたね。新聞は、世の中の出来事やシステムを分析し、警鐘を鳴らし、提言をすることにかけては優れた媒体ですが、その一方で、取材したことしか書けない性質上、人の気持ちの揺らぎやにじみを伝えるのが苦手で、聞いた話をいくら積み上げても真実には到達できません。詰まるところ、私は人の気持ちの本当のところを書きたかったんですよ。社会にとっての一大事よりも、誰か一人にとっての一大事に惹かれます。「コップの中の嵐」ほど激しい嵐はないと確信しているので、警察小説に限らず、デビュー以来書いてきたのはそんな話ばかりです。

 記者時代は、他者を断罪する資格を担保するために、自分は決して犯罪を犯さない人間だと思い込もうとしていました。でも作家はまるっきり逆でね、自分は世の中で起こりうるすべての犯罪を犯す可能性があると認めることが出発点ですね。書き手の心が安全地帯から一歩も出なかったり、高見の見物的だったりすると、押しつけがましい作品になってしまいます。娯楽として読む小説に説教されるほど嫌なことはありませんからね。

──『陰の季節』でデビューされるまでの経緯を教えてください。

 警察担当の記者から県庁担当に異動になってすぐ、発作的に小説を書きはじめました。子供時代は、読んだ本の結末が気に入らなかったりすると、ノートに続編を書いていましたけど、今も同じ気分かよ、とか思いつつ仕事の合間に「ルパンの消息」を書きました。スイスイ書けましたね。後にも先にも書いていて楽しかったのはあの作品だけです。友人の勧めでサントリーミステリー大賞に応募したら最終選考に残って、結果を待たずに十二年間勤めた新聞社を辞めました。一行たりとも嘘を書いてはならない世界で生きてきた私が全編虚構の原稿を書いてしまったわけですから、ケジメをつけたというか、まあ、小説を書きだした時点で辞める決心はついていたんでしょうね。下馬評は大賞確実だったんですが、フタをあけてみたら佳作どまりでデビューしそこね、子供もまだ小さかったので青くなりました。それから『陰の季節』でデビューするまでの七年間は、交通誘導のアルバイトをやったり、書くほうでは少年マンガの原作やゴーストライターをしていました。

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「どう生きるか どう生きたいか」

 思えば、その七年間が今の私の作風を決定付けましたね。会社を辞めて無職同然になり、世間の冷たい風に晒されてみて、組織の功罪について考えるようになったんですよ。自分が組織の中にいる時は、視界にあるのは部や課や上司ぐらいで、組織そのもののことなんて真剣に考えたりしませんものね。それが外に出てみてクリアになった。個を蝕む暴力装置としての組織から、人を他のどの場所より輝かせる檜舞台としての組織のありようにまで思いが至りました。それと同時に、組織を離れたからといって手かせ足かせのない完全な自由など得られないことも思い知らされました。本当を言うとね、会社を辞めてフリーになった時は心底解放感を味わったんですよ。でも長続きしなかった。結局のところ、この国というか世間そのものが巨大な組織体なわけで、そのしきたりやしがらみからは誰も逃れられません。「ならば、自分はどう生きるか、生きたいか」が当時の私にとって切実な問題になっていたんですね。

 だから『陰の季節』の発想が生まれたのだと思います。もともとミステリーも警察小説も大好きでしたが、それに加えてというか、それ以上に、組織が個人に及ぼす有形無形の影響を無視して小説を書けなかったということです。組織と個人の相剋を描こうとするなら、主人公が刑事である必然性はなく、むしろ管理部門の人間のほうが相応しかった。何か新しいものを書いてやろうとか、狙って書いた小説じゃなかったんですよ。

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 書いてみたら「人肌」でした。自分の体温と作品の体温が極めて近かったので、ああ、これだったのか、と思いました。発見も多かったですね。刑事小説だと、事件が起こった際に負荷を受けとめるのは、刑事課とか班とかの「面」ですが、管理部門で起こる事件は、担当者が「点」として受けとめることになる。この時点で純度の高い葛藤劇が約束されるので、紙数の限られた短編にはとりわけ有効だと膝を打ちました。


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『陰の季節』文春文庫

D県警警務部警務課で人事を担当する二渡真治は任期を過ぎても天下りに固執するOBの説得にあたるが、拒否される。その狙いを探るうち、ある未解決事件との関連が浮上する。第5回松本清張賞受賞作を表題作とする「D県警シリーズ」第1弾。


 
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