辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第18回「英語アレルギーという屈折」
帰国子女だからこそ、
思うところがあった。
2022年8月×日
先月のエッセイ原稿を、「言葉が増え始めた娘が、『ゲラ』という単語を覚えた。」という一文から始めたところ、担当編集さんから「その件も非常に気になります(笑)」というメールの返信をいただいてしまった。
仕込んだのは夫だ。ようやく喋ることに興味を示し始めた娘が、2文字の単語なら何でも真似してくれるようになったため、それが嬉しくて教えたようだ。「あり」「うま」「とり」「はち」「ゲラ」……いやいや。待ってよ。
その夫、最近はけっこうな頻度で、私に英語で話しかけてくる。今年から外資系企業に勤め始めたのをきっかけに、毎晩のようにオンラインの英会話レッスンにいそしみ、実力試しとばかりに私に挑んでくるのだ。中高生の頃に4年間アメリカに住んで培った英語力をまったく生かすことなく、日本で専業小説家となってしまった私にとって、夫とのひとときは、自分が帰国子女だったことを思い出す唯一の機会となっている。
まあ、夫と英語でやりとりすること自体は、別に問題ない。普段使っていない言語で話すのはやや億劫だけれど、簡単な会話の練習相手を務めるくらいなら大した負担ではないし、私にとっても英語力の低下スピードを抑えられるというメリットがあるからだ(せっかく能力を保持しても、海外旅行に出かけるとか家族に教える以外に使い道がない、という現実はさておいて)。
夫婦間でちょっとした意見の食い違いが発生したのは、それが「対子ども」になった瞬間だった。
英会話の練習に日々精を出している夫が、娘にも時たま英語で話しかけるようになったのだ。娘がぽかんとしている現場を初めて見た瞬間、「それはやめてよ」と思わず制止してしまった。理由を尋ねてくる夫に、「今は日本語を習得する時期だから。英語は、母語をきちんと操れるようになってからね。混同しちゃったらまずいし」と回答する。しかし夫は「2歳児に話しかける文章って簡単だから、英語に訳すのにちょうどいいんだけどなぁ」と困り顔。その後も夫が子どもに英語で話しかけているのを目撃するたびに注意していると、「少しもいけないの? 厳しいなぁ」とこぼされてしまった。
厳しい……のだろうか。……厳しいか。
そこで考えてみた。なんで私、自分の子どもを乳幼児期から英語に触れさせることに、こんなに抵抗があるんだっけ?
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「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』など多数。最新刊は『二重らせんのスイッチ』。