【著者インタビュー】赤松利市『純子』/圧倒的な熱量で描かれる、美少女とうんこの物語

心を病んだ母が古井戸に身を投げるシーンから始まる、下肥汲みの家の“美少女”と“うんこ”の物語! 冒頭から爽快なラストまで、一筋縄ではいかない衝撃作です。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

衝撃&爽快なラストに刮目せよ! 62歳でのデビューから1年 話題作連発の奇才が描く美少女とうんこの傑作長篇

『純子』
純子 書影
1300円+税
双葉社
装丁/川名 潤

赤松利市
著者 赤松利市
●あかまつ・りいち 1956年香川県生まれ。大学卒業後、某消費者金融に入社、上場業務に関わるなどし、後に独立。ゴルフ場の管理設計を担うコンサル業で成功を収めるが、3.11後、経営破綻。土木作業員や除染作業員を経て上京し、風俗店員等で食い繋ぐ中、昨年『藻屑蟹』で大藪春彦新人賞を受賞しデビュー。以来『鯖』『らんちう』『ボダ子』と話題作を続々発表し、「私は書きたいもんが憑りついてしまうと、寝てても最初の30枚くらいが文章で浮かぶんです」。170㌢、85㌔、O型。

マイノリティをテーマに書くのは社会派でも何でもなく単に見てきたもの、、、、、、だから

 昨年、『藻屑蟹』で第1回大藪春彦新人賞を受賞し、〈62歳 住所不定 無職 平成最後の大型新人〉として話題に。以来、「浅草に月極で借りた漫画喫茶」を拠点に作を重ね、元会社経営者にして元除染作業員という異色の経歴も持つ赤松利市氏の作品群は、書かずにいられない魂こそが書かせた、然たる文学、、、だと思う。
 早くも5作目となる新作『純子』の舞台は、讃岐山脈の北斜面にある〈沁山〉。母の死後、下肥汲みで糊口を凌ぐ祖父母の下で育ち、学校で苛められてもどこか超然とした純子は、岡山・中島遊郭の売れっ子だった祖母から〈オレらをビンボから救い上げられるのは、純子、おまえだけやけに〉と言って色の道を仕込まれる、賢くて感性豊かな美少女だ。
 だが、〈西瓜淵〉の湧水に守られた前近代的な村にも高度成長の波は押し寄せる。これは村の危機を救うべく立ち上がった、〈少女とうんこのとても美しい物語〉!?

「イメージしたのは母方の実家があった小豆島の肥土山という人里で、昭和31年生まれの私の原風景です。ちょうどこんな淵があって、母の家も人の農地を耕して手間賃をもらう貧しい家でしたが、あの頃が一番楽しかった気もするんですよ。
 もちろん私は高度成長もバブルもよう知ってます。一時は時給で最高400万円稼ぐくらいゴルフ場の仕事で儲けました。それがあの震災で全部ダメになって、福島で除染作業員をやったり、東京に来ておっパブの客引きやったり、それはもうえらい転落人生を送ってきたんで、書きたい話はなんぼでもあるんです」
 実は大変な読書家でもある氏には毎作、「超えるべき水準」として意識する作品があるといい、本作はミヒャエル・エンデ『モモ』のオマージュでもあるとか。
「たぶん前作『ボダ子』の反動です。元々『モモ』は最も好きな小説の一つで、本当は『三丁目の夕日』みたいな後味のいい話も書きたいんです。なのに注文が来るのは暴力とか悲惨な話ばかり。今回の初ファンタジー作も、うんこというフックがあったから書かせてくれたんだと思う(笑い)」
 物語は冒頭、まだ2歳にも満たない純子の目の前で、夫に捨てられたと思いつめ心を病んだ母が、古井戸に身を投げるシーンで始まる。かつて祖母と廓から逃げて舌を抜かれた元ヤクザ者の祖父も、純子に色目を使う叔父も、生活のあてにはならず、毎月養育費を渡しにやって来る大学勤めの父も決して一緒に住もうとはしない。その点、この養育費と下肥汲みで孫の白粉代まで賄い、汲み賃を渋る家には〈胃の腑が腐ると、糞も苦うなるんじゃ〉と因縁をつけ、それを舐めるフリ、、、、、までする祖母の逞しいこと。〈この里の連中は、オレたちをバカにしとるけどな、しょせん奴らもオレらと同じ糞袋よ。それを思い知らせてやるのが、バアチャンの務めやけに〉と彼女が言いきるように、その糞袋同士が傷つけあい、笑いもするのが、人間社会であり、赤松作品なのだ。
「ハハ。確かに今は貧困も含めたマイノリティをテーマに書いてます。でもそれは別に社会派でも何でもなく、単に自分の見てきたもんを書いただけ。昭和30年代の田舎ではうんこはもっと身近な存在やったんです。
 それが〈バキウムカア〉や水洗便所の普及で糞尿を誰が始末してるかもわからなくなり、農協が人工肥料を後払いで買わせて農家を借金で縛り、野菜が美味くなくなったのも確かこの頃。でも最初から水洗の子らは何とも思わないだろうし、逆にうんこ話には相当抵抗があるらしい。私ですか?うんことお尻の話が大好きな、少年のままです(笑い)」

搾取による分断前の時代がおもろい

 時折夢枕に立つ〈僧形の老人〉や地蔵様とも対等に話し、物怖じしない純子。バキウムカアに仕事を奪われる中、彼女は12歳にして祖母に早く自分を売るよう急かし、高松の港湾業を牛耳る若き社長〈六車〉と出会ったことが後に生きた。ある時、村の有力者の跡取り息子3人組〈信弘〉〈信明〉〈信夫〉と森で知り合い、純子は子分に従える。そして農業の近代化がもたらした井戸や西瓜淵の異変に気付き、六車たち〈お上に働きかけられる大人〉を巻き込んで命の水の確保へと動くのだ。
 その凛とした闘いぶりやおぼこい3少年と繰り広げる珍騒動、そして政治より糞尿こそが物を言う衝撃のラスト(!)まで、全く本書は一筋縄でゆかない。が、自然や人々から搾れるだけ搾り取り、都市偏重にひた走った本書の景色は、震災後の日本を描いた他の赤松作品とも一続きにある。
「同じ人間が書いてますからね。先日も他界した母の里を何十年ぶりに訪ねたら、畔は崩れてるしバスは走ってないし、里自体が空洞化してた。もちろん食うために里を捨てるのは仕方ない。でも里の崩壊を食い止める抵抗勢力も私は片方にあって欲しくて、境目になった昭和30年代を書いたんです。
 例えば浅草に来るアジア人を見てると、明日は必ず良くなると信じた目をしてる。有形無形の搾取構造が人々を分断し、被災者同士でさえ対立させられる手前の時代を、少なくとも私はおもろいなあと思います」
 9月にはLGBTを主題にしたバイオレンス、11月にも新作が刊行予定と、ジャンルを超えた活躍が期待される赤松氏。暴力を描いてもどこか優しく、「所詮糞袋」としての隣人愛に貫かれた偏りのない視線や圧倒的な熱量は、一たび読めば虜になること、請け合いである。

●構成/橋本紀子
●撮影/三島正

(週刊ポスト 2019年8.30号より)

初出:P+D MAGAZINE(2020/03/25)

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