週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.113 大盛堂書店 山本 亮さん

目利き書店員のブックガイド 今週の担当 大盛堂書店 山本亮さん

彼女が僕としたセックスは動画の中と完全に同じだった

『彼女が僕としたセックスは動画の中と完全に同じだった』
山下素童
集英社

 今、プライベートなことを世の中へ向けて書くとしたら、SNSに投稿するなどの手段があるが、一方で小説の世界ではどうだろう。まず書き手の私生活の体験をもとに描かれる「私小説」というジャンルが挙げられる。しかし、近年そのジャンルが盛り上がっているかというと、そうでもない気がする。理由の一つに、モデルになる第三者のプライベートや個人情報の扱いの問題もあるかもしれない。そのなかで注目すべき私小説が先ごろ刊行された。山下素童『彼女が僕としたセックスは動画の中と完全に同じだった』だ。

 著者は数年前に『昼休み、またピンクサロンに走り出していた』というルポを刊行するなどSNSで注目を集め、現在は新宿ゴールデン街のバーでも働いているライターだ。著者の経歴や題名もインパクトがある本書だが、とても読み応えがある連作短編集に仕上がっている。

 バーで出会った女性、風俗で働く女性、友達ともいえないが恋人でもない女性、AV監督……。様々な登場人物との会話や食事、セックスなどの行為を見る視線が、区別なく終始フラットに徹してるのが印象的だ。感情が無理なく互いのあいだで寄せては返すストーリーの流れも心地よい。そう感じるのは、気楽だけど時には研ぎ澄ました言葉と会話を、著者が注意深く物語に出し入れしているからかもしれない。

 また歌舞伎町や東京郊外、近場への行き当たりばったりの小旅行などの舞台設定も魅力的だ。なんでもない居酒屋やラーメン屋の喧騒のなか、濃密でいちいち共感できてしまうやり取りを読んでいると、それらの舞台とプライベートな著者や女性の自宅が、すべて地続きに繋がっているようにも思えてくる。同時に不特定多数の人々が行動する、東京という土地の懐の深さも感じられるのだ。またこういう雰囲気から「エモい」という言葉が頭をかすめる。しかしやんわりと拒むように、それぞれの章の内容にふさわしい、著者が読んだ様々なジャンルにわたる本の冷静かつ熱い紹介も挟み込まれていて面白い。ここでも人と本を同じ視点で見つめる、著者の姿を垣間見ることができる。

 またモデルとなった当事者に、刊行前に原稿を確認してもらったというエピソードも、書き手としての真摯な姿勢が現れている。その配慮があるのを承知の上で読み進めると、すべてが本当ではないかもしれない優しい「嘘」をつかれている錯覚もあって、今自分はまさしく小説に触れている、という充実感が出てくる。そして読み終えると、本書に漂う抱きすくめられるような可笑しみやぼんやりとした日常の悩みも、著者の身体を通すとこんなにも魅力的に変化するとは、としみじみ感じるのだ。

 ノンフィクションやフィクションであっても、登場人物の生活や人となりを一から十まで知りたいというのは、読み手の当たり前な欲求でもある。しかしいくら読み込んでも、他人の心の奥底まで知ることはなかなかできない。だからこそ読者自身と登場人物の人生を同時になぞりながら、想像し共感できる私小説は、やはり面白いし広く読まれていかなければもったいないのではないだろうか。

 これからも山下素童だからこそ体験し表現できる、読者を試すような作品を書いていってほしいので、本書がきっかけとなりこのジャンルが盛り上がればと思うのだ。

 

あわせて読みたい本

そっちにいかないで

『そっちにいかないで』
戸田真琴
太田出版

 著者自身をモデルにした登場人物に、いくつもの絶望の影が落ちても、鋭くも温かい視線に包まれることによって、新たな生きる力が芽生えてくる光景が眩しい。ぜひ先ほど紹介した山下素童の作品と併せて読んで、これからの時代における私小説の可能性を感じ取ってもらいたい。

 

おすすめの小学館文庫

9月9日9時9分

『9月9日9時9分』
一木けい
小学館文庫

 タイと日本を舞台に、一人の女子高校生の抱える日常の悩みが心を打つ。また文中に登場する「言葉は助けにもなるし、邪魔にもなる。それでも私たちは言葉を探す。」などの鮮やかな言葉に、著者の本書への想いが溢れる。あらゆる世代に触れてほしい素晴らしい青春小説だ。

 

一本木 透『あなたに心はありますか?』
連載第7回 「映像と小説のあいだ」 春日太一