連載第7回 「映像と小説のあいだ」 春日太一

映像と小説のあいだ 第7回

 小説を原作にした映画やテレビドラマが成功した場合、「原作/原作者の力」として語られることが多い。
 もちろん、原作がゼロから作品世界を生み出したのだから、その力が大きいことには違いない。
 ただ一方で、映画やテレビドラマを先に観てから原作を読んだ際に気づくことがある。劇中で大きなインパクトを与えたセリフ、物語展開、登場人物が原作には描かれていない――!
 それらは実は、原作から脚色する際に脚本家たちが創作したものだった。
 本連載では、そうした見落とされがちな「脚色における創作」に着目しながら、作品の魅力を掘り下げていく。


『野性の証明』
(原作・森村誠一/脚色・高田宏治/監督・佐藤純彌/製作・角川春樹事務所)

何か来るよ 大勢でお父さんを殺しに来るよ!

 ある山奥の寒村で、村人たちが虐殺される事件が起きる。自衛隊特殊部隊の工作員・味沢(高倉健)は、サバイバル訓練の最中に事件に遭遇。自衛隊を除隊した後、事件のただ一人の生き残りである少女・頼子(薬師丸ひろ子)を養女として育てていた。頼子は記憶を失う一方、予知能力を持つようになっていた。

 除隊後は東北の羽沢市で保険外交員をしていた味沢は、地元のやくざ組織・中戸組が関与したと疑われる保険金殺人事件に遭遇。正義感の強い地元新聞記者・朋子(中野良子)とともに捜査を始める味沢だったが、中戸組を私兵として使い、警察や財界を支配下に収める市内の実質的支配者・大場一成(三國連太郎)により妨害されてしまう。一方、地元署の北野刑事(夏八木勲)は味沢を虐殺事件の犯人と疑い、執拗に追った。

 以上が、映画『野性の証明』の大まかな設定だ。情報を出す順番が違うものの、原作もそこは大きくは変わらない。

 ただ、この「順番が違う」という点が重要だったりする。

 原作では、味沢が自衛隊員だったことは中盤になって警察の捜査で明らかになる。一方、映画では冒頭から、特殊部にいる味沢の訓練や活躍の様が描かれている。また、虐殺事件の真相の明かされるタイミングも大きく異なる。真犯人は頼子の父親で、風土病により精神に障害を負ったためだった。そして、父親が頼子をも手にかけようとした時、頼子を守るために味沢は父親を殺した。その事実は原作では最終盤に味沢の追憶として明かされるのだが、映画では中盤の段階で味沢が朋子に明かしている。

 つまり、原作では重要だった「味沢は何者なのか」「虐殺事件の犯人は味沢なのか」といった「謎解きミステリー」の要素は、映画ではさほど重きが置かれていないのである。

 原作に対して映画で大きく削られた要素は、もう一つある。それは味沢と朋子の関係だ。朋子は大場グループの悪事に関する記事をスクープしようとするが失敗、その後で一成の長男・成明(舘ひろし) の率いる不良グループに強姦された挙句に殺されてしまう。この展開自体は、原作も映画も変わらない。

 だが、その死に対する扱いが大きく異なるのだ。原作では、味沢による朋子殺害犯の捜査と、その復讐への動きが、物語後半のメインを占める。原作での味沢と朋子は恋愛関係にあり、味沢は朋子を大切にしていたのだ。それに対し映画では、味沢は朋子の殺害を知るものの真犯人の捜査や復讐は考えず、頼子を連れて故郷の千葉へ逃げようとする。成明が犯人と分かるのは、頼子の特殊能力によるものだった。

 謎解きや朋子への復讐といった原作では最重要の要素を削った一方で、映画では新たに追加された要素が二つある。

 まず一つは、味沢と頼子の関係だ。

 原作と映画で大きく変わったのは、味沢の中での頼子と朋子の比重だ。先に述べたように、原作では朋子とは恋愛関係にあり、最後は朋子の復讐のために戦う。頼子の能力をそのために利用することもあった。一方、映画での味沢と朋子は不正に立ち向かう戦友のような関係性だ。原作では恐れていた頼子の記憶が戻ることも、映画では全く恐れていない。それどころか、あえて事件現場に連れていき、進んで記憶を取り戻させようとしている。味沢が何よりも大事にしているのは頼子なのだ。朋子が殺害された後に千葉へ向かおうとしたのも、頼子のためだった。

 そして、もう一点、大きく異なる点がある。それは自衛隊特殊部隊の扱いだ。

 先に挙げたように、映画では味沢が特殊部隊であることが冒頭から描かれている。そして、特殊部隊の非人間性や、そこでの人物関係、味沢が除隊するまでの経緯など、原作ではほとんど触れられなかった要素が数多く追加されている。その中には、保険外交員として味沢とコンビを組む渡会(原田大二郎)が実は味沢を監視する命を受けた工作員だったり、味沢の才能を惜しむ隊長の皆川(松方弘樹)の葛藤だったり――と、自衛隊サイドのドラマもあった。

 頼子と自衛隊。この二つの脚色が、完全なオリジナル展開といえる最終盤に一つに集約され、大きな盛り上がりをもたらすことになる。

 成明や中戸組と闘う味沢の姿を見たことで頼子の記憶は完全に戻り、味沢が父親を殺害したと頼子は警察に告げる。この展開は原作も映画も変わらない。ただ、味沢が中戸組と戦う理由は、原作では朋子の復讐なのだが、映画では頼子と逃げるためだ。

 そして、その後の展開に至っては全く異なる。

 原作では味沢はその場で逮捕され、そして頼子の父と同じ病を発症して正気を失い、空しく死んでいく。

 一方映画では、頼子の証言を得た北野により味沢は逮捕される。だが、大場と癒着した自衛隊上層部の命令で味沢抹殺が命じられ、皆川率いる特殊部隊が襲いかかる。味沢、北野、頼子は山中を逃げることに――。

 冒頭に挙げたセリフは、この時のことを予知した頼子が物語中盤で発したものだ。

 そして、ここから映画版にしかないクライマックスへ突入する。逃亡劇のサスペンスに、『ランボー』ばりのゲリラ戦、そして迫撃砲やヘリコプターも使っての銃撃戦――「これぞ角川超大作」というスケールの大きなアクションが繰り広げられていく。また、味沢を虐殺犯と信じ続けて厳しく接してきた北野が、味沢の真摯な姿に触れているうちに味沢を信じるようになり、最終的には二人を逃がすために命を落とすバディ的な関係性も燃える。

 そして、なんといっても鮮烈なのは頼子のドラマだ。既に記憶を取り戻している頼子は、味沢を「父殺しの殺人犯」としか見なくなっている。そのため味沢に冷たく接して無視し続け、何かあれば北野に懐くのだ。それでも味沢は必死に頼子を護ろうとするのだが、頼子は決して心を開こうとしない。前半で、味沢の頼子への想いが原作以上に濃厚に描かれた脚色がここで効いて、終盤での味沢の健気さが実に切なく映ることになった。

 こうしたプロセスを経たからこそ、味沢と皆川の銃撃戦に巻き込まれて息を引き取る間際の頼子が「お父さん、ありがとう」と再び味沢を父として認める展開が大いに盛り上がる。原作も映画も、その読後感が重く苦いことに違いはないのだが、映画版は「父娘の情」が足された分、救いある余韻がもたらされていた。

【執筆者プロフィール】

春日太一(かすが・たいち)
1977年東京都生まれ。時代劇・映画史研究家。日本大学大学院博士後期課程修了。著書に『天才 勝進太郎』(文春新書)、『時代劇は死なず! 完全版 京都太秦の「職人」たち』(河出文庫)、『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』(文春文庫)、『役者は一日にしてならず』『すべての道は役者に通ず』(小学館)、『時代劇入門』(角川新書)、『日本の戦争映画』(文春新書)、『時代劇聖地巡礼 関西ディープ編』(ミシマ社)ほか。最新刊として『鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』(文藝春秋)がある。この作品で第55回大宅壮一ノンフィクション大賞(2024年)を受賞。

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