週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.100 丸善丸の内本店 高頭佐和子さん
エッセイとは何か。この問題については、考えすぎるほど考えてきたつもりだ。
本日入荷したこの本は、随筆か、エッセイか、もしかして小説? エッセイならばどこに置くのがいいだろう。食エッセイ? 女性エッセイ? 著者の経歴から考えればタレントエッセイ? むしろノンフィクションの棚の方が合っているのではないか。
日々そんなことを悩み、話し合い、時には言い争い、最終的には適当に決めてきた書店員としては、読まないわけにはいかない。著者は、高校時代から雑誌でエッセイを執筆し、20年前には『負け犬の遠吠え』(講談社文庫)が流行語にもなり、現在まで活躍を続けるエッセイストの中のエッセイストである酒井順子氏。この問題を書くのに、これ以上ぴったりくる著者はいないのではないだろうか。日本の文化や人々のメンタリティがどう変わってきたのかを、エッセイを通して知ることができる貴重な一冊である。
『日本エッセイ小史 人はなぜエッセイを書くのか』
酒井順子
講談社
古典から最近の人気芸人の本まで、さまざまな時代のエッセイに著者は言及していく。中学時代に暗唱させられた『枕草子』、子供の頃に何度も読んだ黒柳徹子氏の『窓際のトットちゃん』、祖母に借りて読んだ向田邦子氏のエッセイ、憧れの大人だった椎名誠氏、衝撃的だった林真理子氏の『ルンルンを買っておうちに帰ろう』、ネーミングセンスにグッときた赤瀬川原平氏の『老人力』、そして週刊誌を買ったら一番に読んだナンシー関氏のコラム。その時々で好きだっただけなのだけれど、著者の解説を読みながら思い出してみると、時代の空気を見事に纏っていると思う。時代が変わっても面白く、次の世代にも読み継がれ、時に新鮮にすら感じられるのは、人の心にある変わらないものが、そこに描かれているからなのだろう。
著者自身が受賞者であり、選考委員も務めていた講談社エッセイ賞の選考会では、「この作品は、果たしてエッセイなのか」ということが毎年議論されるという。「随筆」と「エッセイ」の違いも曖昧だ。大正時代に高尚な文章と低俗な読み物の「中間物」として「随筆」がブームとなり、「随筆」を「エッセイ」に変えたと言われているのは、戦後にヨーロッパでの生活をカッコよく描いた伊丹十三氏という説があるが、井上ひさし氏、大岡信氏、丸谷才一氏、山口瞳氏という錚々たるメンバーの文筆家が話し合っても、明確な答えは出なかったという。
そもそもエッセイというものは、限りなく曖昧なものなのだろう。そこに、書く人も読む人も惹かれるのだと思う。どれがエッセイでどれがそうでないかを正確にジャッジすることは無理、ということがよくわかった。今後も迷いながら棚を作っていくことになりそうだ。
あわせて読みたい本
『ナンシー関の耳大全77 ザ・ベスト・オブ「小耳にはさもう」1993-2002』
ナンシー関/著 武田砂鉄/編
朝日文庫
『日本エッセイ小史』を読んでいて無性に読みたくなったのが、このコラムです。先日休刊してしまった雑誌『週刊朝日』(朝日新聞出版)に毎号掲載されていました。約20年から30年前の芸能界についての本ですが、版画にされた人々の状況も大きく変わった今だからこそ味わえる面白さもプラスされていて、ゾクゾクします。こんな慧眼の持ち主と、同時代に生きられてよかったなあとしみじみ思う一方で、数百年後の人が読んでも、興味を持つのではないか?と考えずにいられません。私たちが浮世絵を見て江戸時代の文化や庶民の暮らしを想像するように、後の世代の人々がナンシー関氏を通して、平成時代のテレビ文化に触れる日が来るのかも……、なんて考えてニヤニヤしています。
おすすめの小学館文庫
『「来ちゃった」』
酒井順子/文 ほしよりこ/画
小学館文庫
メジャーな観光地には行き尽くしてしまった。ちょっとめずらしい体験ができるところに行ってみたい。そんな方にオススメしたい紀行文です。上質な出汁の効いたあっさりした味わいのスープに、やけに珍しい具材が入っているんだけど、美味しく食べられちゃったようなかんじと申しましょうか。品のある文章と、予想外の展開やユニークな地元の人々とのやりとりが楽しめます。旅の同行者は『きょうの猫村さん』の著者で漫画家のほしよりこさん。味わい深い挿絵に、じわじわと笑いが込み上げてきます。このお二人で、ぜひまた旅をしてください!