著者の窓 第21回 ◈ 酒井順子『女人京都』
京都を愛してやまないエッセイスト・酒井順子さんの新著『女人京都』(小学館)は、『本の窓』の人気連載の単行本化。京都で活躍した女性たちの足跡を辿り、その人生に思いを馳せる京都エッセイ&ガイドです。アウェーな環境で慈善事業に打ち込んだ光明皇后、仕える妃のために才能を競い合った紫式部と清少納言、奔放に生きた後深草院二条──。さまざまな分野で才能を発揮した女性たちと、それを生み出した京都の物語。京都通ならではのグルメ情報も嬉しい一冊について、酒井さんにインタビューしました。
大好きな京都とは恋人関係でありたい
──東京生まれ東京育ちの酒井さんが、京都に興味をお持ちになったのはいつ頃からですか。
二十代の後半からですね。その頃にふと「自分は日本人なのに仏教のことを何も知らないな」と思って、京都の仏教系の大学の通信学部に入学してみたんです。京都にも遊びに行けるし、これはなかなか楽しいのではないかしらと。長期休暇の間にスクーリングという対面での授業が何日かあって、その都度行き来するのが面倒だったので、二十日間くらい京都に連泊してみまして。観光旅行ではあまり足を運ばないスーパーや中華料理屋さんに行くうちに、京都と東京の生活の違いを感じるように。結局、大学はすぐにやめてしまったのですが(笑)、普段着の京都に触れるきっかけになりました。
──それから足繁く京都通いをするようになったんですね。
有名な観光地だけでなく、端っこやら横丁やら、ガイドブックに載らない場所を歩き回るようになりました。その後、日本の古典文学にも関心を持つようになって、本を書くために作品ゆかりの地を訪ねようと、ますます京都通いに拍車がかかったという感じです。若い頃は漠然と何でも東京が日本一だろうと思っていましたが、とんでもない話でしたね。東京から新幹線でわずか二時間半ほどしか離れていないのに、わたしたちと全然違う物差しを使っている街がある、ということは新鮮な驚きでした。よく「そんなに京都が好きなら住めばいいのに」と言われるんですが、好きな相手と同棲はしたくない(笑)。距離を保つことによって、恋人気分のままで、いつまでもデート気分を味わっていたいです。
──酒井さんの新著『女人京都』は、京都で活躍した女性四十八人の人生を、ゆかりの場所を巡りながら時系列順に紹介した京都エッセイ&ガイドです。「女性と京都」という切り口はどのように浮かんできたのでしょうか。
宮脇俊三さんの晩年の作品に、日本史の舞台となった地を時系列順に巡った「日本通史の旅」シリーズがあります。あのような形で日本の女性たちの横顔を、時系列順に紹介することはできないものか、と思いました。もちろん活躍した女性は日本中にいますが、その記録が残っている土地となると京都以外には考えられない。それで女性と京都をテーマにした連載になりました。千年前の女性の活躍が記録として残されているのは、外国でもほとんど例がないと思います。日本人はその点恵まれていますよね。
──なぜ京都では女性たちの人生が記録に残ったんでしょうか。
やはり長い間、都が置かれていたことが大きいと思います。最初に平安京ができた時、教養のある女性たちは、宮中でキャリアウーマン的に活躍していました。母系制が残っていたからこそ、息子ばかりでなく、娘たちも大切にされた。教養を生かして、自分たちのことを自分たちの言葉で書き残した女性も数多くいたのは、だからこそ。その時代に築かれた女性の気風や文化度は、今に至るまで残り続け、京都に独特の女性性をもたらしているのではないでしょうか。
タイムマシンがあるなら平安時代へ
──二十三章にわたり、各分野で活躍した女性が紹介されています。最初に取り上げられたのは聖武天皇の妃、光明皇后。慈善事業で知られる皇后ゆかりの塔が、清水寺にあるとは知りませんでした。
光明皇后というと奈良という印象もありますが、実は京都、それも多くの人に馴染みがある清水寺に来ていたかもしれない、というのが面白いと思いました。なにせ昔のことですから、伝説の可能性もありますが、「ではなぜ、ここにそのような伝説が残ったのか」と考えることもまた、面白いのです。
──平安時代になると政治で、芸術で、めざましい活躍を見せる女性が次々と現れます。平安時代は今で言う「女性性」が「人間性」と捉えられた時代だった、と酒井さんはお書きになっていますね。
この時代は男性も女性も、花が咲いても風が吹いても感動していたわけでしょう。それでも女々しいとか、男のくせにとは言われなかったし、恋愛で悲しいことがあって袖をしとどに濡らしても、それを詠んだ歌が上手ければ賞賛されました。そういう繊細な心の動きが、人間らしさとして社会的に認められているのが平安時代だったわけです。武士の時代になると、大きく変わってしまうのですが。
──清和天皇の女御でありながら、在原業平と関係していた藤原高子。自分が仕える中宮温子の夫と深い仲になり、子供を生んだ伊勢。平安時代の女性たちは、意外に性的に自由だったことに驚きました。
そこがいいですよね(笑)。下半身の自由を彼女達は持っていたし、自由に生きても非難されなかった。それに女性たちには学ぶ自由もありました。漢字は女のものではないという建前が一応あったものの、その気になれば漢文を学べたし、教養を積んだらそれを生かす道もありました。いつも顔を隠して、着物の袖から手しか出せないという暮らしでしたが、精神は自由だったようです。
──『源氏物語』の紫式部と『枕草子』の清少納言については、一章を割いて紹介していますね。平安文学を象徴するこの二人には、やはり関心がおありですか。
『源氏物語』も『枕草子』も今読んでもまったく古くないのは、それぞれが物語と随筆のベースを作っているから。この二人が同じ時代に活躍したというのは奇跡だと思います。二人はライバル関係にあり、実際紫式部は清少納言への激烈な悪口を書き残しているんですが(笑)、その背後には二人が仕える中宮彰子と皇后定子の対立がありました。紫式部と清少納言が優れた作品を書くことは、仕えている妃の権威づけにもつながったわけで、この時代、文学は政争の道具でもあったんです。そういう背景を知っておくと、より二人の関係が面白く感じられますよね。
──他にも女性の書き手が何人か紹介されています。『更級日記』を残した菅原孝標女は、「今風に言うならアラサーのニート」だったと表現されていました。
彼女は一言でいうと物語オタク。現実より物語の世界が好きで、それが高じて自分でも物語を書いたとされています。『更級日記』を読んでいると、こういうタイプは現代でもいるいる、と思います。もしタイムマシンがあったら平安時代に行って、「こんな顔してはったんや」と、この時代の女性たちの生活を物陰からこっそり観察してみたいですね(笑)。
コロナ禍で初めて知った平安人の思い
──『本の窓』での連載中には緊急事態宣言が発令され、しばらく京都への取材旅行が難しくなってしまいます。しかし地図やグーグルストリートビューを駆使して、見事に逆境をはねのけておられますね。
現地に行かないなら行かないでなんとかなるものだな、と思いましたね。それに数か月京都に行けなかったことで「憧る」という古語のもつニュアンスが初めて理解できた気がします。魂が身体から抜け出るほど恋い焦がれるという意味ですが、外出自粛になってみると、京都に行きたくて心が飛んで行きそうになり、「あ、これだ」と。いにしえの人々が何よりも恐れていた疫病がこんなに怖いものだということも初めて分かりましたし、疫病よけの神社やお祭りはこうして生まれたのかとも実感できました。コロナ禍だったからこそ、平安人と心をシンクロさせることができたのかもしれません。
──冷麺にかき氷、老舗の和菓子。随所に差し挟まれる京都グルメ情報も、本書の読みどころですね。
食べ物の話はできるだけ毎回入れるようにしました。京都は和食だけでなく、中華料理やラーメンも独自の発達をしています。近年は京都の夏が殺人的に暑いので、かき氷ののぼりを見かけるとついふらふらと入ってしまいます。東京では減っている甘味処がまだまだ現役でたくさん残っているのも、京都の魅力ですね。
女性たちの多様性を受け入れてくれる町
──室町幕府の実権を握った日野富子、出雲からやってきてかぶき踊りを広めた出雲阿国、幕末から明治にかけて活躍した陶芸家の大田垣蓮月、アメリカ人と結婚した芸妓のモルガンお雪……。時代の移り変わりとともに、女性の活躍の仕方もまた変化していきます。
時代とともに女性のすごさが変化していくのも、面白く感じたところでした。京都といえば公家文化のイメージが強いですが、その後武家の文化が入ってきて、さらに商人の文化が混ざり合ったり、出雲阿国のように外からやってきたが人が新たな刺激を与えたりもした。その状態はモザイク状になっている町でもあるんですよね。それは今でも続いていて、上品な懐石料理もあれば、味の濃いラーメンや外国の料理も美味しいのは、様々な層の人々が都に集まって来ているから。その特徴が女性の世界にも表れているのだと思います。様々なレベルで力を発揮した女性がいて、またそれを受け入れるだけの土壌があった。大田垣蓮月のような仕事は京都でなければ成立しなかったでしょうし、モルガンお雪も京都以外の町ではもっと白い目で見られたかもしれませんね。
──女人京都の旅を終えた今、特に印象に残っている女性はいますか。
印象に残っているのは、何と言っても鎌倉時代の後深草院二条でしょうか。後深草院をはじめとしてさまざまな男性と性愛関係を結び、その後は日本中を旅した自由過ぎる女性です。奔放なセクシャルライフと旅の日々を記した日記『とはずがたり』はあまり有名な作品ではありませんが、とんでもなく面白いのでもっと注目されてほしい……。『女人京都』では、彼女が元彼である後深草院と再会した、石清水八幡宮を訪れてみました。
──本のカバーの裏側には京都マップが印刷されていて、京都ガイドブックとしても実用的な本になっていますね。
編集さん達の力作です。京都は何度も行ったよという人でも、テーマを持って歩いてみると、これまで視界に入っていなかった意外な風景が見られます。今回のテーマは「女人」でしたが、食べ物、植物、道……など、まだまだ覗いてみたいテーマがたくさん。みなさんも、ご自身なりのテーマを持って、地図を作ってみてはいかがでしょうか。
──この本に記されている女性たちの多彩な生き方も、迷える現代人にさまざまなヒントを与えてくれるような気がします。そういう意味でも実用的な本ですね。
昔に比べていろいろ自由になったとはいえ、まだ規範から外れることをためらってしまう女性も多いと思うんです。そんな時は過去を振り返ってみるのもいいですよね。あなたのような女性は、過去にもきっといます。規範から外れた恋に悩んでいる人でも、後深草院二条の自由な生き方を知れば、きっと勇気が湧いてくると思うんです(笑)。
『女人京都』
酒井順子/著
小学館
酒井順子(さかい・じゅんこ)
1966年東京都生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを執筆。大学卒業後、広告会社勤務を経て、エッセイ執筆に専念。2004年『負け犬の遠吠え』で講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞をダブル受賞。女性の生き方、古典、旅、文学などを幅広く執筆。著書に『ユーミンの罪』『オリーブの罠』『地震と独身』『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女 「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『家族終了』『うまれることば、しぬことば』など多数。
(インタビュー/朝宮運河 写真/松田麻樹)
〈「本の窓」2022年12月号掲載〉