週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.92 丸善丸の内本店 高頭佐和子さん
『すみれの花、また咲く頃 タカラジェンヌのセカンドキャリア』
早花まこ
新潮社
気がついたら、宝塚という沼にハマっていた。元花組トップスター・明日海りおさんの美しさに何かを破壊され、元雪組トップスター・望海風斗さんの劇場に響き渡る美声に全てが決壊し……と経緯を書いていくと3日くらいかかるので、この辺でやめておく。タカラジェンヌと言えば、育ちがよく容姿と才能に恵まれたお嬢様たち、という印象を多くの人が持っているのではないだろうか。退団後も芸能界で活躍する人は一部である。それ以外の人は美貌やら輝かしい経歴やらを武器に優雅な暮らしをしてるんだろうなとか、一度スポットライトを浴びた人たちに他の仕事は難しいのではないか、などと私も勝手に思っていたが、卒業後にかなり意外性のある進路を選ぶ人もいることを、ファンになってから知った。今も舞台に立ち続ける人だけでなく、さまざまな生き方を選んだ元タカラジェンヌに、在団中の思いや今の生き方をインタビューしたのがこの書籍である。
今も俳優として舞台に立つ実力派の元トップ娘役は、ミニチュアフードのアーティストを目指して作品の制作に励んでいる。在団中は公演のある時もダンスのレッスンに通うほど踊ることにかけていた元男役は、日本の踊りを勉強するために全国を旅して回り、経歴を隠して沖縄の伝統舞踊集団で舞台にも立った。ムードメーカーで多くのファンと仲間から愛されたスターは、もう一つの夢だった医療の道に心を惹かれ、大学に進学した。「スパイダーマンになりたい」という謎発言をして卒業した実力のある男役は、ベトナムで日本語講師として働いた後、今は日本で働く技能実習生を支える仕事をしている。
舞台の上で華やかに歌い踊るという誰にでもできるわけではない経験を生かしていると思えない方向に進んでいるように見えて、それぞれの中では確実に何かがつながっていることが興味深い。たくさん悩み挫折し、全力で取り組んだことは無駄にならないということを、彼女たちは新しい世界でも懸命に生きることで見事に証明してくれる。
この本の著者である早花まこ氏にも注目したい。大人びた表情で踊る姿が美しく、芝居もうまかった元娘役さんだが、在団中は雑誌「歌劇」にタカラジェンヌたちの楽屋や稽古場での様子をユーモラスに紹介するコラムが人気だった。切れ味のある文章と、落としどころの絶妙さは誰も敵わず、私も読むたびに笑いが止まらなくなったものだ。そんな彼女が、卒業後に文章を書くという仕事を続けていることが、ファンとしては嬉しい。元タカラジェンヌという肩書きを持つ人たちの多様な生き方に、同じ経験を持つ書き手として向き合うという彼女にしかできない仕事を成し遂げ、全員が全力の舞台を見終わった時とも似たさわやかな感動をくれた。稀有な経験と高い美意識、人に対する温かい視点と類まれなユーモアセンスのある才能豊かな文筆家の誕生である。宝塚に興味はない方にも、ぜひ「早花まこ」という名前を覚えていただきたい。
あわせて読みたい本
『銀橋』
中山可穂
角川文庫
私が沼にハマるきっかけになったのが、中山可穂氏によるこの宝塚シリーズです。第3弾であるこの作品の主人公は、髭の似合うベテラン男役アモーレさんに憧れるタカラジェンヌのえりこ。渋い脇役を目指して努力するエリコを応援しつつ、惜しみなく色気を振りまくトップスターにときめき……、気がつくと客席に座って拍手をしているような気分に。元雪組娘役の早花まこさんによる熱い解説とともに、読む宝塚大劇場をお楽しみください。
おすすめの小学館文庫
『つけ火の村』
高橋ユキ
小学館文庫
2013年、山口県のある集落で起きた連続殺人放火事件。犯人の自宅の窓にあった謎めいた貼り紙が話題となり、さまざまな憶測がネットを飛び交ったことを記憶している人も多いのではないでしょうか。事件の裏側に何があったのかを知るために、思い出したくないはずの人々から話を聞き出す著者の人間力と、紀行エッセイのような独特の持ち味が印象的です。文庫版に寄せて書かれた新章も読み応えがあります。