週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.11 TSUTAYA中万々店 山中由貴さん
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本を閉じたあと身体がじーーーんと響いているような、なんともいえない感動を味わうことがごくまれにある。その余韻が全身に沁みわたり、ひたひたに包み込まれ、なんならすこし地面から浮かんでしまってないか?と感じることが。『テムズ川の娘』を読んでじっさいそうなった人物(私)がいうのだから間違いないです。
19世紀ヴィクトリア時代のイギリス、テムズ川河畔。宿と酒場を兼ねた〈白鳥亭(ザ・スワン)〉の名物は「語り聞かせ」だ。川に架かる橋での伝説的な戦、昔話やおとぎ話、はたまた死者のはなしを、声音や顔の表情筋を駆使し、感情をたっぷりこめて物語る。酒場の主はもちろん、常連の酔いどれ連中もが、おなじ題材でもさまざまに違うバリエーションで語り上げ、それを肴に酒を酌みかわす。そんな陽気な酒場に、ある夜とつぜん少女を抱えた瀕死の男が現れた。男は倒れ、少女が死体であることが確認され、看護師が呼ばれ、ひとときの付添いのあと。ふしぎなことが起こった。たしかに死んでいたはずの少女が、目を覚ましたのだ。
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その夜のできごとは常連たちの語り聞かせによって村々に広まった。身元のわからない奇跡の少女の噂を聞きつけたのは、かつて幼い娘を誘拐された夫婦、不良息子が捨てた孫を探す老牧場主、生き別れになった妹の幻影に囚われる女、三組の家族と思しき者たち。少女はいったい何者なのか、それぞれに事情がありそうな三組の「物語」とはどんなものなのか。謎に満ちた展開ももちろん魅力的だが、ストーリーを追いながら何度も立ちどまって見渡してしまうのが、雄大な川の情景だ。これがもう、ほんとうにすばらしすぎて言葉も出ない。
たとえば水のにごり。肌を刺すつめたさ。渡りたくても手の届かない向こう岸。川で命を落とそうとする者をあるいは助け、あるいは永遠に連れ去ってゆく渡し守の伝説──。
つねに水の気配のする描写や、川のうねりによって動いていく物語、その流れに身をゆだねる読書は、なにものにも代えがたい至福だ。
そしてまた、少女をめぐる群像劇がとにかく最高なのだ。悪意を持った何者かがうごめく不穏ささえ包み込みかねない、多くの心ある人びと。ただ善良だというだけでこんなにも心地いいなんて、ダイアン・セッターフィールドは魔法使いかなにかだろうか。どんな嵐のあとも、かならず川は澄んだ色を取り戻す。不純物をのみこんでなにごともなかったかのように過ぎていく川、それがこの物語の人びとだ。
長い長い物語の終わりに、ふと語り手が隣に立っていることに気づく。最後に彼はいう。つぎはあなた自身の物語に関心を向けなさい、と。
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舞台は17世紀オランダ、運河の町アムステルダム。そう、これもまた川と幻想のミステリーだ。記憶喪失の男が画家レンブラントの息子とともに不可解な宝石商の死に立ち会う。序章とラストのつながりには驚愕と感動しかない…。
(2021年10月1日)