【『アンソーシャル ディスタンス』ほか】「コロナ禍の恋」を描いた恋愛小説

新型コロナウイルスの感染拡大による外出自粛要請の影響で、恋人や意中の人と気軽に会うことができなくなってしまった方も多いのではないでしょうか。コロナを経て、“恋愛のかたち”にもすこしずつ変化が生じてきています。今回はそんな、“コロナ禍の恋愛”をテーマにした小説を3作品紹介します。

長らく続くコロナ禍の影響で、初対面の人々の出会いの形が変わってきたり、恋人同士の価値観の違いやすれ違いが生じやすくなったりと、“恋愛のかたち”にもさまざまな変化が生まれてきているようです。そういった世相を受け、2020年以降に書かれた恋愛小説のなかには、パンデミックにおける関係性の変化に主軸を置いた作品も見られるようになってきました。

今回はそんな、“コロナ禍の恋愛関係の変化”をテーマにした3作品のあらすじと読みどころをご紹介します。

『アンソーシャル ディスタンス』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B094HTKCBJ/

『アンソーシャル ディスタンス』は、金原ひとみによる短編集です。コロナ禍の男女の関係や、さまざまな人・ものへの依存をテーマとする5作品が収録されています。

収録作のひとつである『テクノブレイク』では、コロナウイルスへの恐怖感から恋人との接触を絶ち、孤立を深めていく主人公の様子が描かれます。

舞台は2020年。主人公の芽衣は、かつて重度の小児喘息を患っていた過去があり、コロナに罹患することを強く恐れていました。しかし一方で、芽衣の恋人・蓮二は、感染対策に過敏になる人のことを“コロナ危険厨”と呼び嘲笑します。

それから程なくしてコロナが猛威をふるい、マスクを何箱も買い溜め狂気じみた怖がり方をするようになっていった私に対して、蓮二は戸惑いと呆れを隠さなかった。コロナをさほど気にしていない人の目には、私のような人間は正義の剣を振るい誰彼構わず刺し殺す公害にしか映らないのだろう。

顔を寄せてくる蓮二を見ても“ウイルスが近づいてくる”としか感じられなくなっていく芽衣。蓮二にしばらく距離を置こうと提案され、ふたりは一時的に離れることを選びます。感染拡大に伴って在宅勤務となった芽衣は、蓮二と会えない喪失感や自身の心の虚無感を埋めるため、しだいに激辛料理とマスターベーションに依存していきます。

週六で自宅にいる私は、それが食欲解消にも、ストレス発散にもなると気付いてからほぼ毎日のように激辛料理を食べていた。(中略)食べている間身体中が燃えるように熱くなり、トイレに行くたび肛門が焼けるように痛んだ。私の体内は爛れていた。体内の熱さはそのまま性欲に繋がり、最近では激辛なものを食べながらセックス動画を見て、食べ終えるとそのままオナニーをするルーチンが出来上がっていた。

蓮二とセックスがしたかったし、セックスをすれば元通りになるような気もした。でもセックスをするとなれば手洗いリステリンシャワーは必須で、こんなにも関係が後退してしまっている中、それらを迫ることは私にはできなかった。

セックスにはある種の“思考停止状態”が必要で、パートナーへの性欲と感性対策のための自制心は両立できないと芽衣は感じます。芽衣は蓮二を遠ざけて自分だけの世界に閉じこもっていきますが、そんな彼女に蓮二は、“コロナに関する意見の食い違いは、芽衣の自己中心的な資質を浮き彫りにした”ときっぱりと言います。

コロナをきっかけに変化してしまう関係の根本には、その人本来の利己的な考えや偏見があるのではないか。そして、パートナーや自分自身のそういった性質や思考に気づいたとき、どのように振る舞いを変えるべきなのか。現在考えるべき問題が詰め込まれた、2021年にこそ読んでほしい切実な小説です。

『十年後の恋』


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『十年後の恋』は、人気作家・ミュージシャンの辻仁成による最新長編小説。フランス・パリを舞台に、コロナのパンデミック禍における大人の男女の恋愛を描きます。

主人公は、30代後半の映画プロデューサー・マリエ。彼女はパリで暮らす映画プロデューサーで、10年前に離婚したフランス人の夫との間にふたりの娘がいます。マリエは離婚以来、恋愛には懲りていましたが、2019年の秋にひょんなことから謎の多いフランス人男性・アンリに出会います。

投資家だというアンリの物腰の柔らかさや紳士的な態度に、しだいに強く惹かれていくマリエ。しかし、関わり続けるうちに彼が詐欺を働いているのではないかという疑惑が生まれ、マリエは翻弄されていきます。さらに、不安な気持ちに拍車をかけるかのようにフランスではロックダウンが始まり、ふたりの恋愛はペースを落としていきます。

本書の読みどころは、恋愛感情の不安定さをコロナという要因が加速させてしまう描写のリアルさです。物語の後半でマリエはコロナに感染してしまい、その症状に強く苦しみながらも、改めて自分にとって必要なものは何なのか、そして愛と恋の違いとは何なのかを考え直すこととなります。

フランス語ではAmour 一つしか存在しないのに、なぜ、日本語には愛と恋が存在するのか、私は子供の頃に父と母に訊いたことがあった。
「恋は一時的な自己喪失状態を指し、愛は永遠なる自己中心主義の喪失を指す。もし、愛だと思っていたものが壊れて夫婦が別れたとする。それは信じていたものが愛ではなく恋だったというだけのことだ」と父は名言を残している。(中略)
「ときめくものが恋で、信頼に裏打ちされたものが愛。心配で仕方ないものが恋で、安心はすべて愛よ」と母も母らしい言葉を残した。

これらの“愛と恋”の定義には、思わず強く頷きたくなる方も多いのではないでしょうか。大人が新しい恋に一歩踏み出すとはどういうことなのか、そしてアフターコロナの時代、自分がどのようなパートナーとの関係を求めているのかを改めて読者に考えさせるような1冊です。

『別ればなしTOKYO 2020.』


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『別ればなし TOKYO 2020.』は、『11センチのピンヒール』などの代表作を持ち、女性ファッション誌での小説連載やエッセイを中心に若い女性から支持を集める作家、LiLyによる恋愛小説です。

本書の舞台は、2020年の東京。キリとサイという20代の男女のつかず離れずの恋愛関係を中心に、コロナの感染拡大が始まり、しだいに距離や関係性が変わっていく人々の話を群像劇として描きます。

Twitter上で多くのフォロワーを持ち、インフルエンサーとして人気を集めるキリと、売れない俳優のサイ。ふたりはお互いに強く惹かれ合いながらも、気分屋で浮気症なサイの性格もあり、交際には踏み切れずにいました。2020年の春、徐々にふたりの距離が縮まってきたと思われたちょうどその頃に、コロナの緊急事態宣言が発令され、ふたりは会えなくなってしまいます。

いつもなら人がごった返す、昼過ぎの新宿南口。雲ひとつない空はどこまでも晴れていて、光が注がれた街は隅々まで平和に見える。
キリは不気味な気持ちにさせられた。いつもは人で隠れているアスファルトまでが、太陽を反射してキラキラしているのだ。
ウイルスは、目には見えないものなのだと思い知らされる。
キリはマスク越しに空気を深く吸い込んで、またマスク越しに細く息を吐き出した。
(中略)
もうずっと会えていなくて。どうしても会いたくて。もう30分以上電話をしていたし、天気だって良かったし「どうせ話すなら今からそっちに行ってもいい?」って、断られる気がしていたけれど聞いたんだ。
「え、今? いや、今はマズイっしょ。それに今は、マネージャーに女とは会うなって言われてて」
──東京に緊急事態宣言が出て、2週間になる。

奇しくも、それまでほとんど仕事のなかったサイにはオンライン演劇の主演の仕事が舞い込み、サイにとってはキリよりも仕事を優先したい時期が来ていました。キリは、いままで以上にサイの心中がわからなくなり、不安に苛まれていきます。

キリとサイのほかにも、緊急事態宣言中に遊び歩いていることを彷彿とさせるツイートをきっかけにSNSが炎上してしまう地下アイドルのユウカや、妊娠をきっかけに感染対策に躍起になり、夫への態度がどんどん冷酷かつぞんざいになっていくキャリアウーマンのカヨコ、そして中学生の息子がしだいに“コロナ陰謀論”に傾倒していくカミラなど、本書に登場する人々の人間関係がコロナをきっかけにすこしずつ変容し崩壊へと向かっていくさまは、どれも非常にリアル。

コロナ禍の恋愛小説としてはもちろん、2020年の1年間の空気をビビッドに切り取った作品としても非常におもしろく読める1冊です。

おわりに

この1年、ほとんどの期間続いていたと言っても過言ではない緊急事態宣言がようやく解除され、距離を置いていたパートナーや意中の人に久しぶりに会うことになった──という人も多いのではないでしょうか。あるいは、今回ご紹介した小説の登場人物たちのように、会えない時間のあいだに関係が大きく変わり、相手に抱く感情が変容してきたという方もいるかもしれません。

コロナをきっかけに生まれた心理的な亀裂は、アフターコロナの時代が来ようとも、すぐには修復されないもののように思えます。しかし、社会には本来、さまざまな価値観を持つ人がいるもの。コロナのせいで恋人や家族といった身近な人たちとの関係が壊れてしまいそうなのであれば、相手との価値観の違いに正面から向き合う覚悟もときには必要なのかもしれません。今回ご紹介した3作品は、そのためのヒントにもなりそうです。

初出:P+D MAGAZINE(2021/10/01)

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