週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.85 ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広さん
『父ではありませんが
第三者として考える』
武田砂鉄
集英社
私は独身で子どももいない。よく独身者に対して所帯や子どもを持たないと「人として一人前ではない」「親の気持ちは分からない」と言う人がいる。私もよく言われたもんですよ。
私自身親の気持ちが理解出来ているとは言い難いし、褒められた人間でないことは自覚しているが、結婚しない事情、子どもがいない事情は人それぞれだ。逆に既婚者や家族のある人たちに独身者、子どもがいない者の気持ちは分からないという言い方だって可能ではないか。
そんなことを考えていた矢先に、武田砂鉄氏がこの本を上梓した。
著者自身も配偶者はいるものの、子どもはいない。「父ではないが第三者として考える」という論旨で、子を持つ者と持たない者、立場の違いからお互いに作り上げてしまう違和感や息苦しさ、感じる必要の無い後ろめたさの正体を解き明かしていく。そしてその論考は、単に子どもがいる、いないの話にとどまらず、社会の抱える病理にメスを入れていく。決して大袈裟ではなく、社会の欺瞞と、それをよしとする者の存在こそが攻めるべき本丸なのだ。
まず一つ、あらゆる物事に対する当事者性。第三者には何も言えない、言わせないというシャットアウトが本当に正しいのか? あるいは当事者とは一体誰なのか? という掘り下げである。
誰なのか?と問われれば、それは社会を構成している私たち全員だ。子を育てること、社会を育むこと。それはすべて地続きであり、関係の無い者などいない。そうした当事者性を持つことで、立場や環境の違いを超えておかしな政治、おかしな社会に対してものを言うことが出来る。
そしてもう一つ重要なのが、著者にとって身近に感じる違和感と批判の矛先は、その当人を超えたところにあり、そうした人々の思考を作り上げた社会に対してのものであるということ。
ジェンダーギャップ、男性優位社会、全体主義、家族主義…、すべては権力構造を維持する為の権威付けなのだ。その構造が私たちの普段の暮らしに巧妙に介入していることを、武田砂鉄の文章や発言から認識できる人は多い筈だ。
著者はその社会を作り上げ、上手く利用する政治や経済を基盤とした権力構造が問題だと言っている。私たちはそれらによって思考を停止させられることなく、一人一人の「個」を尊重し確立することでしか、共に生きていくことは出来ないと言っている。当事者であるか否かよりも、社会に対して当事者であるという自覚の共有。そしてそこから生まれる異議申し立ては個人に対してではなく、権力に対してのものであるべきだ。
武田砂鉄は一貫して権力に対して警戒心が強い。そうしなければ人は自身の「個」を確立出来ない筈だからだ。権力に対して疑問もなくスルーしてしまうことの危うさ。それはやがて自身の存在が切り捨てられてしまうことに繋がる。著者の持つ強い違和感と危機感は、私たちが気付かない、気付いていても見て見ぬ振りをしてやり過ごしてしまう事柄ではないか。
すべてを手っ取り早くして、分かりやすさに収束させていくような暴力性が横行する世の中で、思考を止めないように一旦立ち止まってみる。その為にも、武田砂鉄はいつまでもしつこく訴え続ける。著者のような論客がお茶の間に浸透しつつあることに、私は密かな興奮を覚えるのだ。
あわせて読みたい本
『そして父にならない』
カトーコーキ
イースト・プレス
実の親子だからといって関係が良好だとは限らない。そのことを誰よりも知る著者が、パートナーの連れ子と向き合う日々を描いたコミックエッセイ。
父親になるべきか、ならざるべきか、悩みに悩んだその葛藤の末に、子育て論や家族論を超えた一人の人としての誠実な生き方の選択に辿り着く。
世間の作り上げる「普通」に固執しない個人の切実な人間関係は、誰にとっても構築できる
可能性と自由があるのだ。
おすすめの小学館文庫
『緑と赤』
深沢潮
小学館文庫
他者への想像力が欠落したこの社会で起きる、ちょっとしたすれ違い、誤解、偏見が生む小さな悲劇も、積み重なれば大きな分断につながる。その小さな現場でも身を引き裂かれるような思いに苛まれる人がいる。
出自や属性、同調圧力に翻弄されない「個」を確立することは容易ではない。だが希望もそこにしか無い。
誰よりも著者自身が身を引き裂かれる思いで描き切ったであろうこの物語が問いかけるのは、人それぞれが苦しい事情を抱えながらも生きていく為の、一縷の望みではないか。