◎編集者コラム◎

『空に牡丹』大島真寿美


空に牡丹
装画は山下清さんの「両国の花火」。今回、昭和30年刊行の貴重な作品集からお借りすることができ、美しい装丁に仕上がりました。


 みなさんは自分の両親の半生を、詳しく知っていますか? 祖父母のことは? 曾祖父母のことは? 会ったことのない遠い身内だと、知っていることといえばどこで生まれたかくらいで、その人となりまで知っているなんてことは稀かもしれません。

 大島真寿美さんの文庫『空に牡丹』は、つい一族誰もが語りたくなってしまう静助さんというご先祖様のことを、その末裔である「わたし」が物語にまとめた小説です(この「わたし」というのが、著者の大島さんのことなのか、もしくは誰かモデルにしたひとがいるのか、はたまたすべて一からの創作なのか、大島さんは明言されていません)。

 静助さんというひとをひと言で表すと、花火道楽。偶然、両国の隅田川で見た花火に魅せられた静助さんは、大地主の家に生まれ潤沢な資金があったのをいいことに、雇った花火職人に花火の研究をさせるほど花火に夢中でした。明治という激動の時代についていく気もさらさらなく、花火を上げる資金繰りに困ると、ついには田畑を売ってしまいます。

 もしかしたら、そのまま大地主だったかもしれないのにと思う親族としては、複雑な感情もあって、きっと「わたし」が集めた静助さんのエピソードには、いいことも悪いこともたくさんあったでしょう。静助さんと実際に会ったことのあるひとが話したことも、語り継がれるごとにいろいろなひとの思いが入り混じり、末裔の「わたし」には本当の静助さんはもうわからなかったはず。どんなふうに静助さんを語っても正解で、花火で散財しただめ男として語ることもできただろうに、「わたし」が物語にまとめた静助さんは、とても穏やかで心優しい、一本、芯が通ったある種の男気のあるひととして描かれていました。

 大島さんの手にかかると、こんなにもあたたかいファミリーヒストリーになるなんて。私ももういない両親のことを(エキセントリックなひとたちだったけれど)こんなふうに子どもに語りたい。それなのに、両親の半生を断片的にしか知らないし、自分ですらこんな感じだと子どもも私たち親のことをよくわからないままになるでは? と家族に話してみたら、「いまは記録媒体がたくさんあるからまた違うんじゃない?」という答えが返ってきました。なるほど。

 そう言われてみると、先日、義母が地元で観た打ち上げ花火の動画をスマホに送ってくれました。二歳になる子どもと一緒に観ていたら、「この花火が好きー」と大輪の枝垂れ柳を指差し、花火が打ち終わるとばちばちと拍手。静助さんが生きていた頃には想像もつかないほど鮮やかな花火を、時も場所も関係なく、今こうやって楽しむことができる。たしかに今はいろいろな形で記録が残って、何度でも共有できるけれど、そこからこぼれ落ちるなにかがたくさんあって、それを埋めるのは生きている私たちでしかないから、今はいない両親のこと、そして自分自身のことを子どもに話し続けよう。

 静助さんのような破天荒な生き方でなくても、家族にとって語り継がれるべき誰かの生きた足跡がある。『空に牡丹』は私にとって、そう思える一冊です。

──『空に牡丹』担当者より