大島真寿美『たとえば、葡萄』
どこからだって扉はひらく
小説とはふしぎなもので、うまれる時にはうまれてしまう。
ここ数年、江戸時代の道頓堀界隈に脳内トリップしつづけ、あちらの世界に搦めとられ、あまりにも、あまりにも、どっぷりと浸りきっていたものだから、もう、江戸時代の小説しか書けなくなっちゃったかも? と危惧していたりもしたのですが、『結 妹背山婦女庭訓 波模様』を書き終えたら、ふいに頭の中の江戸時代の道頓堀が消えてなくなっていたのでした。
あれ。
なくなってる……。
わたし、戻ってこられた。
あっけない。
戻ってきたら、現代は、コロナコロナの真っ只中。
そうか、コロナか。
ここは、コロナの時代か。
そんなことを思っているうちに、わたしは久しぶりに現代を舞台にした小説を書きたくなっていたのでした。
たぶん、この小さなウィルスに翻弄されまくっている、この時代について、もっとよく考えてみたかったし、もっとよく見てみたかったし、自分が何をどう感じているのか知りたかったのだと思います。
そうこうするうち、一人の女の子のことが気になりだしました。
美月。
十五年ほど前に、『虹色天気雨』『ビターシュガー』という二つの小説に登場していた女の子です。
そうか、あの子か。
二十八歳になった美月が、今、この世界でたしかに生きているという感触をわたしはすでに掴みだしていて、そうなると、もう、書かずにはいられなかった。
それにしても、誰も続編なんて求めていない今頃になって、なぜ。
それはわたしにもよくわかりません。
なぜだか、パズルのピースがかちりとはまってしまった。なんだかそんな感じ。
でも、まあ、そうはいっても、続編といったって、十五年も経っているし、前二作の中心だった市子たちの世代から美月へと世代交代しているし、単独で読んでくださって全然OK。
いや、むしろ、前作、前々作のことなど気にせず読んでいただきたい。
コロナで閉塞感いっぱいの毎日ですが、どこからだって扉は開く。
たとえば、葡萄からだって。
そんな思いも込めた『たとえば、葡萄』。
今すぐ、書かなくちゃ、という衝動に、正直に従って書いた小説です。
大島真寿美(おおしま・ますみ)
1962年愛知県名古屋市生まれ。1992年「春の手品師」で第74回文學界新人賞を受賞し、デビュー。2012年『ピエタ』で第9回本屋大賞第3位。2019年『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』で第161回直木三十五賞受賞。その他の著書に『虹色天気雨』『ビターシュガー』『戦友の恋』『それでも彼女は歩きつづける』『あなたの本当の人生は』『空に牡丹』『ツタよ、ツタ』『結 妹背山婦女庭訓 波模様』など多数。
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『たとえば、葡萄』
著/大島真寿美