◎編集者コラム◎ 『世界に一軒だけのパン屋』野地秩嘉

◎編集者コラム◎

『世界に一軒だけのパン屋』野地秩嘉


世界に一軒だけのパン屋 カバー色校

 パン業界で作るのは「絶対に不可能」と言われてきた、国産小麦100%を使ったパン。
 このパンを日本で初めて作ったのが、北海道帯広にある満寿屋という小さいパン屋さんです。

 このパン屋さんは古くから帯広でパン屋さんを経営し、帯広市民からは「ソウルフード」とも言われているお店です。初代から数えて3代目。杉山雅則社長が就任し、2012年から全商品が国産小麦100%に切り替わりました。
 さらに、同社のパンは、国産小麦100%はもちろん、牛乳、バター、水、そして砂糖、酵母まで地元産のみを使用した、世界でも珍しい貴重なパンとして有名です。

「安全」「安心」そして「美味しさ」を求めて今や北海道内はもちろん、日本全国から満寿屋のパンを求める人びとでお店はいつも行列が絶えません。テレビ、新聞などメディアに取り上げられることも多くあのマツコ・デラックスさんも、絶賛するほどの味わいです。
 では、なぜ国産小麦100%が不可能と言われてきたのでしょうか。それを解き明かすのは、日本のパン作りの歴史に関わる問題であり、本書のテーマでもあります。

 日本では、幕末期にパン製造の技術が海外よりもたらされましたが、もちろん、パン用の小麦は国内にありません。当時は主にカナダ産の小麦を使ってパンが焼かれました。従来の日本の小麦は中力粉がほとんどで、うどんを作るには向いていますが、パンを焼くには不向きでした。そして、大正、昭和と時代は経っても輸入小麦でパンを焼くのが主流でした。
 国産小麦を使うのは、パンには不向きであること、そしてカナダやニュージーランド産の小麦が安価で使いやすいということからです。
 それに疑問を持ったのが、1982年に店を継いだ満寿屋2代目の健二さんです。輸入小麦は安価だけれど、船で日本にもたらされるため、防腐剤などが使用されることもありました。それは果たして健康に影響はないうのか。「安全な国産の小麦でパンを焼いてみんなに食べさせたい」。その思いが健二さんの原動力でした。十勝地方は日本の小麦生産日本一を誇ります。その、見渡す限りの小麦畑を見ながら健二さんは決意を固めました。

 その頃、北見農業試験場が開発したハルユタカという小麦の品種が出現します。この品種はパン用に開発されたものです。しかし、生育が難しくそれを栽培しようという農家はほとんどありませんでした。
 健二さんは知り合い農家を回って、ハルユタカを栽培してくれるようお願いしました。それから30年、親子二代の、誰もが不可能と考えていた国産小麦製造のチャレンジが始まります。著者の野地さんは、何度も帯広に足を運び、当時の関係者、農家、製粉業社、牧場などに取材を行いその困難に満ちた日々を本書に描いています。試行錯誤を繰り返し、それはまるで映画を見るようなドラマチックな日々です。その内容は、ぜひ本書で読んでいただければと思います。

──『世界に一軒だけのパン屋』担当者より

世界に一軒だけのパン屋

『世界に一軒だけのパン屋』
野地秩嘉

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