◎編集者コラム◎ 『マザー/コンプレックス』水生大海

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『マザー/コンプレックス』水生大海


『マザー/コンプレックス』写真

 近年、SNSで目にすることが増えて激しい怒りを覚えているのが、受験生を狙った痴漢行為を呼びかける投稿だ。「痴漢チャンスデー」「入試日に痴漢チャレンジ!」「共テあるからちょっと痴漢してこようかな」──こんな信じられない書き込みがあふれているのだ。人生を左右する大切な日、トラブルになって失敗したくないという受験生の心情につけこんだ卑劣な犯罪だ。

 もちろん受験生だけでなく、老若男女、誰に対しても、痴漢は絶対に許されない。

 水生大海氏の新作書き下ろし文庫『マザー/コンプレックス』は、名古屋の地下鉄で起きた〝痴漢〟にまつわる事件が、3つの家族の運命を大きく歪め、変貌させていく傑作ミステリだ。自慢の息子が痴漢行為を咎められ、逃げようとして轢死した蜂須賀恵理子(59歳)は、悲嘆に暮れている。高校生の娘が痴漢を捕まえたが、長いあいだ被害に遭っていたことを知った夏川美夏(45歳)は、激怒している。不妊治療の末、ようやく待望の子供を妊娠したのに夫が痴漢をして逮捕された高奈琴絵(32歳)は、途方に暮れている。本作に登場する3人の母親たちは、年代も職業も家族構成も違うが、もれなく厳しい状況に置かれている。そして、彼女たちの〝母性〟が暴走し始めた時、事態はとんでもない方向に転がり、取り返しのつかない惨劇を招いてしまう──

 まさにページを捲る手が止まらぬほど、先の展開が気になる小説だが、その原動力の一つが、〝母性〟という得体のしれないものへの共感だ。第三者からは常軌を逸しているように見える行為でも、最愛の子供を失ったり、傷つけられたりした母親にとっては当然のことであり、それ以外の選択肢はないのかもしれない。ノンストップな物語に翻弄されながら、ぜひ底なしの〝母性〟というものの恐ろしさに触れていただきたい。

──『マザー/コンプレックス』担当者より

マザー/コンプレックス

『マザー/コンプレックス』
水生大海

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