◎編集者コラム◎ 『鳴かずのカッコウ』手嶋龍一
◎編集者コラム◎
『鳴かずのカッコウ』手嶋龍一
神戸を舞台とした本書には、こんな記述がある。
元町アーケード街から細い横道に入った漫画カフェ「ポエム」で、梶壮太はひとりの男と向かい合っていた。男は店主お勧めのブレンドを、壮太は熱いミルク珈琲を手にして、囁くように話し込んでいる。店内には地元のアーティストが作詞・作曲したヒップホップが流れ、ふたりの会話は周りの席から聞き取れない。
このカフェは実在している。著者とともに、この店でコーヒーを飲んだから知っている。だから、この店を隠れ家のようにし、公安調査庁の情報部員がネタ元と密会しているという記述が創作だということはわかる。もっとも、こうした市民の生活圏のなかで、情報活動が繰り広げられているという点は、そのとおりなのだろう。実際に、そうした話を関係者からも聞いた。
本書は、小説である。しかし、巻末に「本書はフィクションであり、実在の人物や団体などとは関係ありません」といった言葉は載せていない。そういうお断りを入れるには、事実を書きすぎているからだ。
担当編集として、少なからず著者の取材活動には立ち会った。神戸出張は、コロナ禍の始まった頃だった。閑散とした港町を著者とともに練り歩いた。なので、あの取材メモはこの記述にいかされていたのか、そうそうあの中華料理はおいしかったなぁ――などと実感を得られる箇所がある。一方で編集者も知らない、しかし確実に誰かから着想を得ているにちがいない記述も多くある。
フィクションに見せて、事実を書いている。一方で、事実に見せてフィクションの箇所もある。その塩梅は、実は著者にしかわからない。本書は、北朝鮮の拉致問題や偽札工作を題材とした『ウルトラ・ダラー』や、戦前の外交官・杉原千畝の真の顔に迫る『スギハラ・サバイバル』と違って、扱う事案は小さいし、筆致も柔らかい。公安調査庁に迷い込んでしまった若き情報部員・梶壮太のドタバタ劇は、時にコミカルでさえある。
しかし、である。まだウクライナ戦争など起きるとは思いもしなかった2021年2月の単行本発売時点の文章に、今読み返せば、それを示唆するようなヒントがちりばめられている。冒頭はウクライナ・リヴィウから幕開けし、壮太が追う男はウクライナ人だ。初稿をもらった私は、リヴィウとはどこなのかと、ネットで調べたことを告白しておく。
あえてカジュアルに見せて、そこに重大な事実を潜ませている。元共同通信のジャーナリスト後藤謙次氏はNHKに在籍していた手嶋氏の若かりし日を知る。氏が、本書の巻末解説で本書は「日本社会に対する警告の書だ」と確信めいて指摘するのは、きっとそういうことなんだろう。
著者も、この小説もやはり恐ろしい。
──担当かしわばらより