週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.128 精文館書店中島新町店 久田かおりさん
『神と黒蟹県』
絲山秋子
文藝春秋
この小説の面白さを伝えるのはヒジョーに難しい。だって、どこにでもあるようなフツーの町で、どこにでもいるようなフツーの人々が、どこにでもあるようなフツーの毎日をつつましく積みあげている物語なのだから。
そんなフツーの日々を最後の最後まで飽きさせずにユーモアたっぷりに読者を引っ張っていくのはさすが絲山小説ということなのだけど、その「さすが」には二つの大きな柱がありまして。
まず一つ目は神の視点だろう。「神の視点」なんて書くとなにやら小難しい本だか怪しい本だかと躊躇してしまうのだけど、そんなことは一ミリもなく。町の人の中にさらりと溶け込んでいる世間知らずで半知半能の、『海と仙人』(新潮文庫)に出てくるファンタジーのような飄々とした神さまの語りが素朴でとてもいい。人々から崇め奉られる大いなる神ではなく、すぐとなりで蕎麦をすすっているような、味もわからないのにお弁当コンテストの審査員を押し付けられたりするような。そんな半知の神さまが人間界の色んなことを知っていく過程で、読み手の私たちも自分たちの暮らしの中にある小さな豊かさに気付かされる。お弁当って最高だ!
もう一つの柱は何と言っても方言だろう。絲山小説には方言がよく出てくる。『逃亡くそたわけ』(講談社文庫)は博多弁と名古屋弁のマリアージュだったが、ここに出てくる方言はなんとなんと、全て「架空」のものなのだ。そもそも黒蟹県というのが架空の県なのでそこに出てくる方言が架空ってのは当たり前なのだけど、その作りこみがハンパない。章末に挟まれる、言葉の他に地名やら商品の名前やらの解説が記された「黒蟹辞典」の完成度たるや! 一番のお気に入りは「じゃんがじょう寝てくわる」だ。これはいつかどこかで使いたい。方言というのは不思議なもので、いったんそこに足を踏み入れ、その言葉を受け入れたとたん、言葉以外の全てもまとめてつながりはじめる。それは一種の鍵のようなものなのかも知れない。
おっと、忘れちゃいけない隠し柱もありました。神や方言のおかげでふんわりと読み心地の良い一冊となっているけれど、そのふんわりの隙間から「社会問題」が時間差で現れてくる。住民的新旧のあれこれ、市や県レベルのあれこれ。小さくても大きくても本人たちとって深刻ないさかいは明日の全国区的問題なのだろう。それがあってのふんわり。
なにはともあれ、そこはかとなく漂うユーモアと一章ごとに訪れる心地いい余韻を楽しむがよき一冊。
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ねこまき
小学館
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久田かおり(ひさだ・かおり)
「着いたところが目的地」がモットーの名古屋の迷子書店員です。