山本甲士『ひなた弁当』

気弱で冴えない中年男が見せた永倉新八イズム


 歴史好きの知人と飲んでいて何となく新撰組の話になり、十代の頃からずっと永倉新八のファンだと私が言うと、その知人は「え?」と意外そうな顔をした後、「そういえば剣術の腕前は新撰組の中で永倉新八と斎藤一がツートップだったらしいね」と納得顔でうなずいたのだが、私が好きだというポイントは、実はそこではない。

 近藤勇は官軍に捕らえられて斬首され、土方歳三は五稜郭の戦いで討ち死にし、沖田総司は病に倒れたが、永倉新八は名を変えるなどして新政府の追及をかわし、剣術師範などをしつつ大正時代まで生き続けた。しかも当時は唾棄すべき賊軍とされていた新撰組の回想録『新撰組顚末記』を残し、それがきっかけで多くの時代小説やドラマが生み出されることとなり、彼は新撰組の名誉を回復させた最大の功労者となった。ちなみに永倉新八は、近藤の独裁体制に反旗を翻す行動を起こしたこともある、反骨心あふれた人物でもある。

 二十二年ほど前に私が某新人賞を受賞したときに心に誓ったことは、売れっ子作家になってちやほやされたいとか、有名な賞をもらいたいとか、そんな大それたことではなく、永倉新八のようにしぶとく生き残ってやるぞ、ということだった。生き残ってさえいればいつか何らかのチャンスをつかめるかもしれないが、消えてしまえばそこで終わりである。

 拙著『ひなた弁当』の主人公、芦溝良郎はお人好しで気が弱い中年男だが、リストラされても再就職先が見つからなくても家族から疎んじられてもしぶとく生き続けることをあきらめず、ついに一筋の光明を見出した。剣の達人とは真逆ともいえる冴えない男だが、それでも彼は永倉新八イズムを受け継ぐ者の一人なのだと念じて描かせてもらった。

 最初に単行本が刊行されたのは約十年前。当初は話題にならず、文庫化された後もしばらくはいい知らせを聞くことはなかった。ところが結構な時間が経過してからじわじわと読者が手にとってくれるようになり、ありがたいことに今も波紋は広がり続けている。

 しぶとく生きる男の姿を描いた小説が、今もしぶとく書店に並んでいる。これはもう、永倉新八の何かが作品に降りてくれたからに違いないと、勝手に思っている。

山本甲士(やまもと・こうし)

1963年生まれ。主な著書に、平凡な人が騒動に巻き込まれる『どろ』『かび』『とげ』『俺は駄目じゃない』『つめ』、行き詰まった人に小さな奇跡が訪れる『ひろいもの』『あたり魚信』、高倉健の映画と共に成長した男の半生記『運命のひと』、素人がプロ作家になるまでを描いた『そうだ小説を書こう』、老女がトラブルを静かに解決する『ひかりの魔女』など。

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