ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第142回
漫画家人生15年のうち、
9年ぐらいは、
「会社員兼漫画家」だった。
前回、今年でデビュー15周年らしい、という話をしたが、その内の9年ぐらいは「会社員兼漫画家」という肩書であった。
会社員をしながら漫画家を目指し、努力の甲斐ありデビュー、漫画家としての目途が立ったので会社を退職し専業作家となった。
という存在しないはずの記憶について最後まで語ろうかと思ったが、書き終わるころには本当にそれが真実であると思い込むようになりそうなのでやめておく。これ以上病を進行させたくない。
デビューのきっかけとなる作品を投稿したころの私は警察からの「職業は?」という質問に対し、嘘偽りなく自分の業務について説明した結果「結局無職ってことだよね?」と言われるような半端な無職ではなく、わかりやすく丁寧、そして真剣な無職だった。
5年ぶり2回目の無職、という高校野球であれば県内そこそこの強豪であるはずなのだが、何故かどこからも指名がなく、完全な進路未定の無所属と化していたのだ。
運悪く時はリーマンショック、就職活動は芳しくなく不採用が続いた、という設定にしているが、おそらくリーマンショックじゃなくてもこの結果だったような気がする。
しかし当時は「リーマンショックで求人の数自体が少なくて」と聞かれてもないのに言っていたし、リーマンショックが何なのかは未だによくわかっていない。
だがその時の私も、まさかその10年後に「コロナによる書店休業で本が売れなくて」を連呼するだけのBOTになるとは思っていなかっただろう。
ピンチがチャンスであるように、恐慌や疫病など、個人の力ではどうにもできない社会情勢に巻き込まれてしまうのは不運ではあるが、逆に全ての言い訳に転用できる、ということを若人たちは覚えておいてほしい。
私は幸いギリギリ氷河期世代ではないのだが、もしそうだったら、一生氷河期を言い訳に使い、同世代からも「誰かあいつの口を溶接しろ」と疎まれる存在になっていたと思うので、周囲にとっても幸いだった。
ちなみに近年の新卒は完全な売り手市場であり、「どうにかしてお前が今蹴った内定を25年前の俺によこせ」と斬新なタイムリープものを提案するぐらい現状を羨ましがっている氷河期世代も多いので、本当に当時は過酷だったのだということがうかがい知れる。
確かに、100社受けて決まらないという地獄に比べれば今の方が絶対に良いのだろうが「空前の売り手市場に残されたラストマン」となってしまった時、一体どんなツラをすればいいのかわからないので、国は「若干言い訳の余地を残した良い社会」を目指してほしい。
ともかく、思った以上に就職活動が上手くいかなかったので、私は簿記の勉強をはじめジョギングをするようになった。
一見前向きになったように見えるが、専門家はこれを無職としての症状が「第Ⅱ期」に突入したと診断する。
とりあえず寝まくるという、Ⅰ期を経て体力が回復したのと、まだ脳に退職ハイが残っているのと相まって、資格取得や筋トレなど、自分磨き的なことに走るのだが、この期間が終了してⅢ期になると、昼夜逆転など一気に「無職らしさ」が出てくる。
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