ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第19回
1回の催促ぐらいでは
返信しないものが一つだけある。
だが、私はこう見えて、〆切は忘れていなければ、守る方である。催促をされないのはそのせいかもしれない。実はこの原稿のことも覚えてはいた。
ただ「そろそろ書くか」と思った瞬間に、担当から「進捗どうですか」と来るので「今やろうと思ってたんだよババア!」と、お母さんに宿題しろと言われた小学生みたいになってしまうのだ。
ただ、私は原稿の〆切は守るが、それ以外は適当である。
契約書これで良いですか、とかデザインはどれが良いですか、みたいな業務連絡メールに対しては、なかなか返信できないのだ。
それでも1回催促があれば、返信するのだが、1回の催促ぐらいでは返信しないものが一つだけある。
「作者コメント」
こいつに関してだけは「てめえはダメだ」の精神である。
「作者コメント」とは、雑誌の目次やページの柱に掲載されている「作者の一言」のことだ。
私はこれが大の苦手だ。もはや憎んでいると言って良い。即刻廃止すべき悪しき文化だと思っている。
作者コメントには2種類ある、フリートーク型とお題に答える型だ。
どっちがマシかというと、どっちもダメだ。両方瞬時に滅ぶべきである。慈悲はない。
フリートーク型の場合は、なんでも自由に書いて良い。
あれだけツイッターでつぶやけるなら、柱や目次に一言つぶやくぐらい簡単だろうと思うだろう。
だが、こちらに言わせれば、目次や柱に書くようなことがあるなら、いいねやリツイートが貰えるかもしれないツイッターさんにつぶやきたいのである。
それに対し、柱や目次というのはツイッターより遥かに「誰が読んでいるのかわからない」世界なのだ。
つまり「もったいない」。
「作者コメント」というのはエコを考えない、地球に厳しい、時代に逆行した文化ということである、環境破壊につながるので今すぐやめたほうが良い。
「お題型」は、編集部の用意した質問に答える形式だ。
フリートーク型より手がかりがある分マシに思えるかもしれないが、そんなことはない。
何故なら私は虚無なのだ。
「高校時代の思い出を教えてください」とか「お勧めの夏の過ごし方は」などと聞かれても大半の答えが「ない」になるのである。
何を聞かれても「そんなものはない」と答えても良いのだが、それでは普通に「感じの悪い奴」になってしまう。
こちらは答えるのが面倒で「ない」と言っているわけではない。むしろ真剣に考えた上で「ない」のだ。
それにもかかわらず「真面目に答える気がない奴」のように見えてしまう。
つまり作者コメントというのは、情報操作により人のイメージをダウンさせようという卑劣な策略である。今すぐやめるべきだろう。