ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第44回

いろんなタイプの編集者がいるが、
真面目な編集者ほど作家からの
評判が悪いという怪現象が起きる。

逆に伊佐坂がノリスケから逃れるために、磯野家に籠城したり、船を抱いた回があっただろうか。あるならお手数だがyoutubeにあげてくれ、後で見る。

つまり、どっちが非常識かと言ったらノリスケの方であり、それにとっくに気づいているプロのサザエさん視聴者からノリスケは「ハイエナ」と呼ばれている。
つまり、片や出版社の固定給で、片やフリーランスの国民健康保険というだけで、編集者の方がきちんとしていて、作家の方はルーズというイメージがあるかもしれないが、全ての作家と編集が、そんな鉄板商業BLみたいな関係性ではない。

確かに、漫画家という職業を選んだ時点で人生に対し、かなりお転婆であることは否めないが、それ以外は至って生真面目な漫画家も多いし、逆に、編集者になれたおかげでアル中の編集者で済んでいるが、もしなれてなかったらただのアル中という編集だって大勢いるのである。

よって締め切りに関しても、作家の方がしっかり覚えていて、編集者の方がすっかり忘れているというパターンだってあるし、さらに「両方忘れている」という、なぜそんな連載が始まったのか不思議なケースもある。

だが、どちらかというと担当は、アル中よりきちんとしたタイプの方が好ましい、そうでないと「週刊連載」と銘打って始まったはずなのに、毎週載っているか載っていないかが完全なランダムで規則性すらない、という状態になってしまう。
それに、執拗な催促は作家に嫌われるが、言わなかったら言わなかったで「なんでもっと早く言ってくれんかったん」という、寝坊で朝練にいけなかった中学生みたいなことを言い始めるので「お母さん、何回も起こしたがな!」と言うために、催促メールや着信履歴などの証拠は残しておくべきなのである。

逆に、担当が適当でメリットがあるかというと、まず「ネームをろくに読まずにOKをくれる」という大きなメリットがある、ただしこういうタイプは原稿も良く見ていないので、3ページぐらい白紙でもそのまま載せてしまうし、キャラの名前を一切覚えようとしないので、打ち合わせが空を掴むような感じになってくる。
もしくは正確には「ルフィ」なのに「ここでブピーが…」と中途半端に覚えて発言してくるため、こちらも訂正するタイミングを伺うばかりで、全く話し合いに集中できないという場合もある。
しかし、自分も負けず劣らず適当で、もうブピーでいいっすというタイプは、こういう担当の方が上手くいったりするのだ。

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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