ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第79回
話し合いが苦手だ。
これは、作家というより
知的生命体にとって致命的である。
だがそれ以前に私は「話し合い」という行為ができないのではないかと思う。
これは、作家というより知的生命体として致命的である。なるべくして社会から弾き出され無職になったとしか思えない。全て筋書き通りだ。
だが、担当の意見を一切無視して、自分の描きたい通りに描いているというわけでもない。
ただ担当の意見に対し「うん、わかった」か「だが、断る」しかなく「話し合い」という過程がないのだ。
担当も私のそんなモラハラクソムーブにすぐ気づくのか、どんな担当がついてもすぐに打ち合わせという作業が消滅し、こちらが何の相談もなく描いたネームに担当が、イエスかノーか返事をし、それに対し、こちらがまたイエスかノー、もしくは殺す、という簡潔なやりとりのみになってしまのだ。
これだから作家として成功しないのかもしれないが、担当の意見を聞けば売れるというわけでもないので、どちらが良いというわけでもない。
ただ、担当の意見を聞いておけば売れなかった時担当のせいにできるのでたまに聞くようにはしている。
そんなわけでここ数年ずっと、電話は無視、話し合いはしない、というスタイルで仕事をしてきたが、こんなやり方が通るのは出版業界ぐらいのものである。
もちろん出版業界でも印刷会社相手にこんなことをしたら大事であり、作家と編集の間のみで許される行為だ。
そう思っていたのだが、今それと全く同じ、もしくはそれ以上にひどいやりとりを税理士事務所と行っている最中だ。
私だけがダメで、他はみんなちゃんとしている。
ずっとそう思ってきたが、意外と他人もそこまでちゃんとしていないのかもしれない。
(つづく)