ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第82回
どの漫画家にも、
漫画家を志すきっかけになった
作品や作家が存在するものである。
しかし、こう見るとレジェンドというのは、ただヒット作を出しているだけでなく、非常に多作、そしておそらくもう描かないでも食っていけるだろうという状態になっても描き続け、なんだったら割と死ぬ直前まで描いていた人も珍しくない印象だ。
漫画家に定年はない、描くだけなら死ぬまで描けるし、需要がある限り漫画家も続けられる。
実際80、90になっても執筆を続けている作家もいるらしい。
よって漫画家という職業はそんなに年齢に左右されない職業と思われがちだが、どう考えても80、90、死ぬ直前まで描いている方が特別、端的にいえばどうかしているのである。
私は今年40歳になるが、目に見えて漫画を描くのが辛くなってきた。
じゃあ今まで辛くなかったのかというともちろん辛かったが、今は霊帝のようにとても辛い。
絵を描くにも体力がいるし、集中力も歳と共に低下するため、加齢で描くのが遅くなったという人は多い。
例え体力や集中力が十分でも、眼球が「もう無理っす」と勝手に瞳を閉じて君を思い、ただそれだけで良くなってしまう。
だが加齢は誰にでも平等に訪れる。体力の低下を補うのは気力だ。
つまり漫画業界のレジェンドと言われる人たちは漫画を描くという気力がすごい。
もう一生食うに困らない、なんだったら悠々自適に暮らせる銀行残高を見た後で「よしまた週刊連載を始めて過酷すぎる日々を過ごしちゃうぞ!」と思えるのは相当気力がある。
そんな漫画界に大きな影響を与えた人の訃報だったので、我が Twitter にも悲しみの声、あの作品が好きだったという思い出、そしてお前の笑ゥせぇるすまんのトラウマ回はなに?という話題が上がっていた。
漫画家になる人間というのはやはり最初は漫画が好きであり、なんらかの漫画を読んで漫画家になろうとしている場合が多い。
むしろ漫画を読んだことないのに漫画家になりたいという人間がいたら何を考えているのかわからなすぎて怖い。
よって大体どの作家にもリスペクトする漫画家や、漫画家を志すようになったきっかけになる作品や作家が存在するものである。
私の場合はさくらももこ先生であり、漫画だけではなくエッセイの原点もさくら先生だ。
大体、憧れる作家ができたらその作家の絵を真似るのが通例であり、鳥山明風だったり、井上雄彦だったり、遊戯王の血を濃く受けついでいたりと、世代によって絵柄が何となくかぶるというのはよくある話だ。