【『まん延』『温度感』『〇〇ガチャ』etc.】「ふだん使いの言葉」を見つめ直すための3冊

定型文や流行り言葉、キャッチフレーズなど、日常的になにげなく使っている言葉の意味や意図について、あらためて深く考える機会はあまりありません。今回は哲学や社会学の分野から、そんな“普段づかいの言葉”について見直し、考えを巡らすヒントを与えてくれるような本を紹介します。

「ソーシャルディスタンス」や「まん延」、「自粛要請」──。コロナ禍によって新たに生まれ、一般的になった言葉は数多くあります。

それらの言葉の中には、必ずしも“正しい言葉”や“意味の通る言葉”ではなくても、なんとなく「ふだん使い」の言葉として日常に馴染み、頻繁に使われるようになったものも存在します。言葉は、いちど世間に馴染んで多くの人に使われるようになってしまえば、深い意味を考えずとも口にできるもの。しかし、ときにはそのような言葉のあり方・使い方をあらためて見直し、その意味についてじっくりと検討することも大切です。

今回は、日常のさまざまなところで目にする「ふだん使い」の言葉の意味や意義、背景について、いま一度考えを巡らすことができるようなエッセイや人文書をご紹介します。

『いつもの言葉を哲学する』(古田徹也)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B09NBL5ZC3/

『いつもの言葉を哲学する』は、オーストリア出身の哲学者・ウィトゲンシュタインの研究などを専門とする哲学者・倫理学者の古田徹也が2021年に発表したエッセイ集です。本書ではそのタイトル通り、生活の中に息づく“いつもの言葉”の重要性や面白さ、そして危うさが、さまざまな観点から考察されていきます。

古田が特に警鐘を鳴らしているのが、語彙や表現形式に対する“過度の規格化”や、“お約束言葉”の増幅です。たとえば、近年頻繁に目にするようになった「まん延防止等重点措置」という法令用語。「まん延」という言葉に用いられている「蔓」の字が、内閣府の定めた常用漢字表に存在しないため、この用語はひらがな・漢字が共存する“交ぜ書き”の形で表記されることが多いようです。

古田は、この表記は“悪目立ち”するだけでなく、トレーサビリティの低下という弊害を生じさせると語ります。

“たとえば「蔓延」の「蔓」は、草冠の字からも分かるように、草や蔓が伸び広がることを意味している。平仮名にすると、こうした漢字の機能が失われ、文字から元の意味を辿ることができなくなる。(そしてこれは当然、ほかの交ぜ書きや平仮名書きにも言える。)千年単位の歴史を持つ多くの単語に関して、意味の成り立ちのトレーサビリティ(追跡可能性)が失われてしまうのだ。”

“少なくとも交ぜ書きに関して言えば、私はこれまで、この種の表記を歓迎するという記者や編集者にはひとりも会ったことがない。(中略)新聞社の記者などは社内の表記ルールに従わざるをえないから、交ぜ書きや平仮名書きになってしまう熟語を避けて別の表現を探す、という方もいた。
先述の視認性や意味の問題に加えて、こうした事態が実際に起こっていることが、まさに常用漢字表をめぐる最大の問題のひとつだと私は考えている。つまり、この表を遠因とするかたちで言葉の使用に障害が発生しており、さまざまな場面で、本当は使いたい言葉やしっくりくる言葉を選べないことがある、という事態だ。”

では、交ぜ書きはすべて廃止し、もともとの表記に一本化すべきか──というと、決してそうではないとも古田は言います。漢字表記がより増え言葉が複雑化すれば、日本に住む外国人など、日本語を母語としない人たちにとっての負担が増えることは明白だからです。

“重要なのは、具体的な中身を見ずに機械的に判断を行うのではなく、ひとつひとつの言葉について検討し直していく地道な作業にほかならない。”

という提言で、古田は章を結んでいます。

「ひとつひとつの言葉を検討し直していく地道な作業」がもっとも大切だというのは、本書全体を貫く背骨のような思想です。例に挙げた「まん延」のほかにも、「〇〇ガチャ」といった若者言葉や「かわいい」といった日常的な言葉、「温度感」「抜け感」のような「〇〇感」という表現を用いて「明言を避ける」言葉、そして政治・経済にまつわる言葉まで、“いつもの言葉”が丁寧に分解され、新たに組み直されていくさまは非常に爽快。“言葉を哲学する”ということがどのようなことであるかを、豊かで身近な実例とともに教えてくれる1冊です。

『まとまらない言葉を生きる』(荒井裕樹)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4760153497/

『まとまらない言葉を生きる』は、障害者文化論を研究する日本文学者・荒井裕樹によるエッセイ集です。

荒井は本書の前書きで、単刀直入に、“言葉が壊れてきた”と語ります。

“「言葉が壊れてきた」と思う。いや、言葉そのものが勝手に壊れることはないから、「壊されてきた」という方が正確かもしれない。
こう書くと、若者の言葉遣いが乱れてきたとか、古き良き日本語表現が忘れられていくとか、そうした類の苦言や小言に受け取られてしまうかもしれない。でも、ここで考えたいのは、もう少し深刻で、たぶん陰鬱な問題だ。
日々の生活の場でも、その生活を作る政治の場でも、負の力に満ち満ちた言葉というか、人の心を削る言葉というか、とにかく「生きる」ということを楽にも楽しくもさせてくれないような言葉が増えて、言葉の役割や存在感が変わってしまったように思うのだ。”

荒井はその例として、2010年代以降、SNSの普及に伴って増えてきた、憎悪・侮蔑・暴力・差別に加担するような言葉を挙げます。特に、荒井の研究対象でもある障害のある人々や生活困窮者、少数民族や性的マイノリティの人々に対し、憎悪の感情を隠そうとしない人々が増えてきた、と言います。

また、人の尊厳を傷つけるような言葉に加え、“社会に大きな影響力を持つ人たちの言葉もなんだか不穏になってきた”と指摘します。歴代最長となった安倍政権が、国会質疑や記者会見の場で「その批判は当たらない」などと繰り返し、議論を避ける姿勢をとり続けたことで「言葉への信頼を壊した」と言うのです。

“対話を一方的に打ち切ったり、説明を拒絶したり、責任をうやむやにしたり、対立をあおったりする言葉が、なんのためらいもなく発せられるようになってしまった。”

“こうした議論の打ち切り方は「議論の際は根拠を示して丁寧に説明すること」と教室で叫び続けているぼくからすれば「学生に見せられない議論」そのもので、教育に関わる者の一人として耐えがたいものがあった。”

本書の中で荒井は、研究生活で出会った障害者運動に携わる人々や多くの書籍の中の言葉に触れながら、“壊れつつある言葉”に抗おうとします。

“最近、「ダイバーシティ社会」というフレーズをよく目にする。「多様性を尊重する社会」というほどの意味だけれど、そもそも「多様性の尊重」とは何なのだろう。
ぼくなりに表現すると、「それぞれの事情を安易に侵さず、それぞれの事情を推し量ること」ということになるだろうか。
いま、行政が先頭に立って、そうした社会を目指しましょうと音頭を取っているくせに、一方で女性には「仕事と育児、どっちとるの?」といったプレッシャーがかけられる。
「女性の社会参加が進んできた」とか言われるけど、女性が「母親らしさ」みたいなものを試されたり、仕事が育児かの二者択一で引き裂かれるような場面は、まだまだ、ものすごく多い。”

その筆致からは、「ダイバーシティ」「絆」「多様性」のように、キャッチフレーズやスローガンとして安易に用いられる言葉をそのまま鵜呑みにはしないという意志とともに、簡単には要約できない、まとまらない言葉を丁寧に積み上げることこそが人の人生や生活に真摯に向き合うことだ、という強いメッセージが感じられます。

『10代から知っておきたい あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』(森山至貴)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B08FC19RZL/

『10代から知っておきたい あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』は、クィア・スタディーズや差別・偏見にまつわる研究を専門とする社会学者の森山至貴による本です。

本書は、日常生活で使われがちな“ずるい”常套句の裏に隠された意図を考察することで、大人よりも社会的に弱い立場にある子どもが、それらの言葉にだまされないようにするためのヒントを伝えてくれる1冊。「あなたのためを思って」「どちらの側にも問題あるんじゃないの?」「私には偏見ないんで」──など、ずるい言葉の例として挙げられている29の発言には、誰しも一度は聞き覚えがあるはずです。

たとえば、理不尽なことに抗議しようとする人がしばしばかけられる、「そんな言い方じゃ聞き入れてもらえないよ」という言葉。森山はこの言葉に隠された“ずるさ”について、こう分析します。

“きつい言い方をするのはよくないことだと思う気持ちは、たしかに私たちの中にあります。ならば、やはり言い方には気をつけたほうがよいのでしょうか?
でも、よく考えてみましょう。そもそも、言い方に気をつけたら聞き入れてもらえたとして、それは望ましいことなのでしょうか。(中略)言葉づかいが問題だということは、正しいだけでは聞き入れられない、ということですよね?”

“「言い方が悪い」という批判は、聞き入れてやるかどうかを判断する権限が「聞き入れる側」に与えられていることを前提にしています。そのため、「お願いする側」とそれを「聞き入れる側」という役割を固定してしまう危険を秘めているのです。そして、この役割分担が危険なのは、現状で力の強い立場と弱い立場の間にある不均衡に沿うかたちで役割が分担されることがとても多いからです。”

この“不均衡”ゆえに、お願いを「聞き入れる側」の要求はどんどん高くなっていく可能性があり、そのたびに「お願いする側」は丁寧な言い方を強いられてしまいます。これはまさに、“ずるい”言葉そのものです。

言葉自体の分析に加え、各章の末尾には、その言葉に関連する専門用語の説明が添えられています。「そんな言い方じゃ聞き入れてもらえないよ」という言葉の場合は、差別や抑圧を受けている人が、発言の内容ではなく口調・論調を非難され論点をすり替えられてしまうことを示す「トーン・ポリシング」という用語が解説されています。

そのため、本書はタイトルの通り10代の子どもにも伝わるような平易な内容でありながら、さらに一歩踏み込んで差別・偏見にまつわる社会問題についての理解を進めることができるような1冊にもなっているのです。

人からしばしば向けられるアドバイスや善意の形をした言葉は、そこに疑問や理不尽さを感じたとしても、あまり深く考えずに受け入れてしまいがちです。本書は、そんな言葉になぜ違和感を覚えるかをわかりやすく解きほぐすことで、“ずるい言葉”に言いくるめられてしまわないための手がかりを読者に与えてくれます。10代に限らず、強い言葉になかなか言い返すことができない大人にとってもおすすめできる1冊です。

おわりに

今回ご紹介した3冊の本はどれも、日常的に口にする言葉やテレビの中でしばしば目にする言葉など、身近な“ふだん使いの言葉”との向き合い方をテーマにしたもの。どのような言葉も生活に根ざしている以上、言葉の意味や歴史的文脈、その裏に隠された意図を探ることは、私たちの生活についてあらためて考えることにもつながります。

今回ご紹介した本は、言葉に誠実に向き合うことで生活がより豊かに、多彩になるということを、多様な例を通じて読者に伝えてくれます。気軽に使っていた言葉に違和感を覚えたり、流行っている言葉について深く考えたりしたくなったとき、ぜひ、これら3冊に手を伸ばしてみてください。言葉への真摯な向き合い方のヒントが得られるはずです。

初出:P+D MAGAZINE(2022/04/25)

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