ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第84回

ハクマン第84回
そもそもプロは
自分の描きたいものを
描くのが仕事ではない。

ともかく、描きたいものがあれば、それを読者も面白がってくれるように描く、描きたいものがなければ読者が喜びそうなものを考えて描くのがプロである。

よって描くことがない、描きたいものがない、などとは口がスペック戦の花山薫みたいになっても言ってはいけない。描くことを見つけてくるのがプロなのだ。

そもそも関係者に「描きたいことなどない」と愚痴ったところで「そんなのみんなねえよ」と「キンタマが4つついてないんだけど病気かな?」と相談した時と同じ返答をされるのがオチだ。

描きたいことがない、という作家は意外と多い。
もちろん最初は描きたいものがあって作家を目指したのだが、デビューして何作か描くと「そんなにたくさん描きたいものはなかった」という事実に直面したりする。

死ぬまで描き続ける大御所作家のすごいところは、よくその年まで漫画という過酷な作業を続けられるなというのもあるが、死ぬまで描きたいことがある、もしくは描くことを見つけられるという点である。

何作か描くと描くことが尽きるのはもちろん、それが一発も当たってないともはや何を描いてもダメな気がしてくる。

ここで自分を殺し、世間が何を求めているかマーケティングして描ければ良いのだが、それを勧められると「自分はそういうのでハネる作家ではないので」と急に作家性を出してきたりする。

実際、マーケティングして流行りに乗れば売れるという訳ではない。
むしろ流行っているということは「みんなやっている」ということであり、そこから抜きん出るのは並大抵のことではない。
流行りに乗るとしても、流行りの中でどれだけ意外性や作家性を出すか、むしろ実力が試されてしまう。
自分がやっても、異世界転生しようとしてただトラックに轢かれた人になる気がしてならない。

逆に言えばトラックに轢かれて異世界に行く展開が許される、なんでもありなフィクションの世界ですら描くことがないのだから、トラックに轢かれると臓物になる現実をテーマにしたエッセイで描くことがないのは当然と言える。

では本当にもう描きたいものはないのかというと、もちろん「呪術廻戦を描きたかった」などの希望はある。
しかし描きたいものはあっても今度は「描けない」という壁が立ちはだかってくる。

そして年を取ると漫画を描くという作業が肉体的に辛くなるため、描きたいものがあっても今度は「描きたくない」という新たな感情が芽生え、トータルで「描きたいものはない」という結論に達してしまうのだ。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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