ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第84回

ハクマン第84回
そもそもプロは
自分の描きたいものを
描くのが仕事ではない。

では「たかし君が時速3キロで歩いたとしてエクアドルにつくには何日かかるでしょう。ただし、たかし君の食事睡眠時間、人権などは考慮しないものとします」という算数の問題のように、己の能力や体力を考慮に入れず描きたいものはあるか、と言われたら、特に理由のないイケメンの好意がヒロインを襲うようなちょっとエロい漫画が好きなので、自分でも描けるものなら描いてみたかった。

ただ描いたことがないのでわからないが、漫画の中でもエロほど私情を殺して描かなければいけないジャンルはないのではないかと思う。

漫画ローレンスを読んでエロ漫画家を志したのにロリコンものばかり描かされるという意味ではなく「気分を無視して描かなければいけない」ということだ。

私も基本的にエロは好きだが、ワクチンの副反応で伏せっている時にコンビニの袋から快楽天を出されたら「ご厚意大変ありがたいが、今はこれよりポカリかな?」と言ってしまうだろう。
エロというのは気分によって、見たい時と見たくない時の差が激しい。

読み手であれば見たい時に見れば良いが、仕事として描く方は「描きたい時に描く」というわけにはいかず、全くそんな気分じゃないのにエロと向き合い、とても乳首の光沢トーンを削っているとは思えない神妙な顔で机に向かっているのかもしれない。

必ずしも漫画を仕事にすると漫画を描くのが楽しくなくなるというわけではない。
乳首の光沢トーンは何回削っても最高という人もいる。

ただ、妻の不倫と今まで自分が息子と思っていたものがそうではないと発覚した日など「とても漫画を描くのが面白いと思えない時」にも漫画を描かなければいけないのが、漫画を仕事にするということである。

ハクマン第84回

(つづく)
次回更新予定日 2022-6-10

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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