滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第1話 25年目の離婚 ④
気づけば25年の月日が経ち……。
スジョンの精一杯の語学力では、こぼれ落ちてしまう細かいニュアンスまではわからなかったから、夫が感じているすれ違いを感じることはなかった。必要なことは夫が全面的にやってくれて生活に支障はなかったから、英語を極めなければならない必然性もない。そもそも、夫婦同士で政治や経済について討論するわけでもなし、スジョンからしてみれば、話さなければならないことはちゃんと話しているつもりだった。たとえ夫が理解しやすいように砕いた英語でしゃべってくれていても、こっちは向こうのことばを使っているのだから、それはお互い様だと思っていた。そんな努力をしなくてもいいアルターナティヴが周囲に渦巻いていることも考えなかったのだ。ことばが邪魔をして、夫婦単位で社交するのが普通のアメリカで別々に交友関係を持つようになったけれど、アジアでは普通のことだからスジョンはこれも問題と捉えなかった。
だから、最初に夫に離婚を持ちかけられたときは寝耳に水で、スジョンはパニック状態に陥った。自分にどんな落ち度があるのかさっぱりわからなかったし、ポールなしには、右も左もわからないまま、子供とどうやって生活していったらいいのか見当もつかなかった。
スジョンは、アメリカの男は自立していて世話を焼かなくてもいいと勘違いしていたし、伝統的な結婚観や年齢や男女の序列が頭に巣くっていたし、で、年上の夫に頼るばかりで、彼のニーズを考えるところまでいかず、夫がスジョンから愛情を感じられずに不満を抱いているのもよくわからなかった。スジョンにとって、家庭とは、夫婦が互いに労(いた)わり合い気遣い合いながら育んでいくところではなく、背伸びしたり無理したりしなくても、ありのままの姿でいられるところだった。だから、疲れ切った顔をした夫が帰宅したとき、構わずにテレビを見続けても、夫の転勤でヨーロッパに滞在した五年間、仕事に忙殺された夫を残して、韓国から来た家族や友人とヨーロッパ中を飛び回っても、それが年上のアメリカ人の夫の心にひずみを生むとは考えなかったのだ。そもそも、当時、スジョンはまだ二十代だった。
アメリカとアジアの都合のいいところを取ってその上に居座っていたスジョンが本当に目を覚ますのは、夫がある晩帰ってきて、「ハンナを愛してしまった」と告白したときだった。それまでは離婚話を持ち出しては撤回していた夫だったけれど、今度は本当に失うかもしれない。スジョンは足元をすくわれる思いがした。ハンナは、裕福な家庭出身の、大学を出た知的な女性で、しかも、スジョンの友人で、同じ韓国人だった。
この時代は、スジョンにとって一番つらいときだったかもしれない。流産して、それから夫が出て行って、離婚を迫ってきて、ハンナからも離婚を迫られ、針のむしろみたいな日々だった。やめたはずのタバコを吸い始めたのはそのころのことだ。
カエデの木立ちに囲まれた大きな家で息子と二人で過ごす日々、夫には自分よりもいっしょに過ごしたい人がいることを考えると、心の中がざわざわして苦しい。子供を抱えてこれからアメリカでどうやって生活していくのか、夫に生活のすべてを頼り切っていたから、おろおろするばかりだ。小賢(こざか)しい細工をしてアメリカに来たことを後悔したのもこのときだった。
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