思い出の味 ◈ 町田そのこ
惣菜のコロッケを食べていてふと、必殺技を持っていない事に気付いた。これは旨いと人を唸らせ、己も自信を持って提供できる必殺技的得意料理が、ない。
私の母のそれが、コロッケだ。レパートリーの中で抜きんでて美味しく、子供の頃は弟と競うようにして食べた。母のコロッケは、甘辛く炊いた牛ミンチと玉ねぎを、粗く潰したじゃが芋にたっぷり混ぜ、パン粉を付けて揚げたもの。特別な物は入ってないし特殊な工程もないごく普通のものだが、その配合と大きさが絶妙にいい。私は醤油を垂らす派で、弟は何も付けない派。高校生の頃、私の弁当に入っていたコロッケをいつもつまみ食いしていた男友達は断然ソース派だった。そんな母のコロッケだが、母が今の私の年の頃にはその味は完成されていた。となれば私もそろそろ、何かひとつくらい持っていていいのではないか。
自身が気付いていないだけで既に何か体得している可能性もあるので家族に訊いてみたら、麻婆豆腐だと即答された。丸美屋です、あれ。間違いなく美味しいが、それは私の手柄じゃないっていうか。
という訳で、鶏の唐揚げを必殺技に昇華させることにした。大多数の人が好きな料理だろうし、既製品を上回るものを作ってみたいという野望もある(唐揚げ専門店が至る所にある土地在住です)。
ニンニクを大量に入れてみたり、粉の配合を考えてみたり。ずいぶん試行錯誤した。家族も私の本気を感じたのか熱心に意見をくれ、そのお蔭で味がめきめき向上していった。揚げたての唐揚げを皆で頬張りながら、検証を繰り返す日々。そして先日ついに、最高だと言われた。唐揚げといえば、これしかないよ。それは嬉しいと思うと同時に、気付きだった。
私は、記憶になりたかったのだ。どんなコロッケを食べても母のコロッケの方がいいと思うように、ソースがめっちゃ合うと笑う顔を思い出すように、大切な誰かが食事をしているときに、ふっと蘇る胃の記憶になりたかった。あの唐揚げが、いいんだよなあ。家族にそんな瞬間がきっと訪れることを幸福に思いつつ、今日も私は手羽元にニンニクを擦りこむ。