辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第34回「なぜ学校に行くのか」
いつか「行きたくない」と言い始めたら
なにをどう伝えればいいだろう。
暇な教育実習生だからできたことだ。たまたまあの時期に、あの場にいた私が、彼にどんな影響を与えられたか、はたまた何も与えられていないのかは分からない。だけど、この日本において、学校が「めったなことがなければ基本的に行かなければならない」場所とされている以上、軽い気持ちで休み始めてしまうと、後々予想もしていなかったような大きな壁にぶつかりかねない。一見無意味のように見える「学校」が、少しでも自分の成長の糧になるものと受け止めてもらえたなら、あの場に居合わせた甲斐があったというものだ。
教育実習期間中、彼はその後もたびたび、私に不満を訴えかけてきた。作文を途中まで書いたけどつまらないとしか思えないから続きが書けない、とか、今日は学童に行くのが面倒だから帰りの会のあとも教室に残っていたい、とか。先の経験からして、中途半端にあしらうのが一番よくないのだろうと思い、作文はその場ですぐに目を通した上でキラリと光る部分をピンポイントで褒め、帰りの会後にいつまでも教室に残ろうとする彼にはチャレンジ心をくすぐる4桁の掛け算(?)の問題を出し、それが解けたら学校のルールに従って帰宅するように促した。5分も向き合えば、大抵彼は嬉しそうな表情になり、私のもとを離れていった。彼は本当に「作文を書きたくない」とか「帰りたくない」わけではなくて、誰か身近な大人に自分のことをまっすぐ見てもらいたいだけだったのではないか。去っていく彼の後ろ姿を見て、そんなことを思った。
だから、もし今後、自分の子どもに、「学校に行きたくない」と言われる日が来たら。
あらかじめ画一的な回答を持っておく必要はないのだろう。たぶん、何よりも大事なのは、そう訴えてきた子どもの話に真剣に耳を傾けることなのだ。親が話を聞くだけで解決することもあるだろうし、親の視点から少し角度の異なる意見を述べることで、上手く心の中が整理されるかもしれない。それでも対処が難しい問題があれば、学校を休むことも視野に入れた上で、関係各所と話し合う必要が出てくるけれど、何よりもまずすべきことは、傾聴し、共感すること。自分が味方であることを示すこと。
似たようなことを、今の育児でもすでに実感している。もともと怖がりで、赤ちゃんの頃から滑り台やブランコが苦手だった娘。「大丈夫だよ、怖くないからもう一回やろうよ」と声をかけると怒ってしまうが、「怖かったんだね。ごめんね。ぎゅーしようか」などと彼女の気持ちに寄り添ってあげると、案外自ら挑戦し始めたりする。
子育てって奥が深い。でも案外、大人同士のコミュニケーションだってそんなものなのかもしれない。「仕事、やりたくないんだよね」と人に話したとき、「え、そんなこと言ったってやるしかないじゃん、頑張りなよ」と返されるよりは、「面倒だしつらいこともいっぱいあるよねぇ……でも生活のためには仕方ないもんねぇ……」などと共感されたほうが、「みんな同じかぁ、ならもう少し踏ん張るか!」という気持ちがわいてきたりしないだろうか。
私は後者のような親になりたい。私が家事で忙しくしている夕方、そのへんに適当に置いておいた洗濯物の山の中から、自分と弟、二人分のパジャマと下着を引っ張り出し、ご丁寧に弟の新しいおむつまで添えて並べてくれていた娘を見て感涙にむせびながら(大げさ)、そう心に誓うのである。
(つづく)
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「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『二重らせんのスイッチ』など多数。最新刊は『山ぎは少し明かりて』。