源流の人 第39回 ◇ 阪田マリン(ネオ昭和アーティスト)
令和の現世から「昭和にワープだ!」
復刻版でも模倣でもない 「ネオ昭和」に昇華させ発信
合計約30万人ものフォロワーが見守るSNSで、阪田は日々、高頻度で「昭和」を更新している。ある日は「明菜ちゃん」風ポニーテールに髪を結い、儚げな表情で。またある日は、ほぼ直角に突き出た肩パッドのジャケットを羽織り、挑むような眼差しで。
木枯らしの吹く取材日、大阪・堀江で出迎えてくれた彼女は、阪神電車の尼崎駅近くの洋品店で買い求めたという、「昭和」感みなぎるジャケット姿だった。
「昭和って自分から探しに行かないと、今、見つからないんですよね。ネットで『昭和 レトロスポット』とか調べて探しに行くんです。自分の足で行くのを大事にしています」
「昭和」に会うために出かけた阪神尼崎(阪尼:はんあま)の街には、下町風情あふれる商店街や、古い面影を残した歓楽街がある。
「(写真を見せながら)もう、すごいレトロ。こんなアングラな昭和が好きなんですよ。例えばこの(成人)映画館『尼崎パレス』。これが一番私の中でビビッと来ました。それからこの『昭和南四番館』っていうビル。スナックがたくさん入っていて、いっぱい写真を撮ってきました」
キツネのファーが襟元についたニットのジャケットは、2,000円で売られていたという。阪田は店の主人に「1,000円にしてや!」と交渉し、まけてもらったそうだ。
「『ホンモノのキツネやで!』って言われたけど、たぶん本物じゃないと思う(笑)。でも、そういう会話も面白いんです」
いっぽう、インナーに着ているツイードのワンピースは、最近の流行でもある。メイクも令和風にしている。髪の毛も可愛らしく「巻き下ろし」スタイル。これも現代。ただ、薄手で光沢入りのタイツはレトロ。そのギャップこそが「ネオ昭和」。
チェッカーズのレコードにハートを撃ち抜かれて
中学2年生の時、祖母の家で、阪田は古いレコードプレーヤーを見つけた。祖母は彼女に言った。「針を落とすと音楽が流れるんやで」。それで聴いてみたチェッカーズのレコード「Song for U.S.A.」に、ハートを撃ち抜かれた。1986年発表の、チェッカーズ11枚目のシングル。作詞・売野雅勇と作曲・芹澤廣明の名コンビによる楽曲で、1975年生まれの阪田の父の愛聴盤だった。
ちょうどその頃(2014年)といえば、大阪・阿倍野に「あべのハルカス」が開業し、「STAP細胞」をめぐる一連の騒動が起こっていた。音楽シーンでは「AKB48」「乃木坂46」の全盛期で、世界的にレコードやCDの販売額をデジタルが抜いたのもこの頃である。誰もが手軽に楽曲をダウンロードできるようになった、そんなさなか、阪田はレコード盤をジャケットから取り出し、ナイロン袋を外してターンテーブルにセッティングし、針を下ろす瞬間にうっとりしていた。阪田は嬉しそうな表情で語る。
「昭和って結構長いですけど、一番好きなのは、80年代。1982年、83年、『花の82年組』と言われていた、あの年代のアイドルが特に好きです」
花の82年組──。中森明菜、小泉今日子、早見優、シブがき隊、堀ちえみ。現在でも芸能界の第一線を走る面々は皆、同じ年にデビューを果たした(ちなみに松田聖子は1980年)。とりわけ阪田の「推し」は「明菜ちゃん!」だという。
「うん、ずっと明菜ちゃん。あの方は、ただの歌手じゃないと思います。女優、アクトレスという感じ。最初の出会いのきっかけは、やっぱりそれもお父さんなんですよ。『昭和が好きなんやったら、明菜ちゃんとか聖子ちゃんとか聴いたほうがいい。一緒にレコードショップ行くか』って」
どこか「陰」の要素を感じる明菜に、阪田はのめり込んでいく。最近、阪田がよく聴くのは「BLONDE」(1987年)、それから「赤のエナメル」(1986年)だそうだ。「赤のエナメル」が収録された中森のアルバム「CRIMSON」(同年)には、竹内まりやが楽曲提供し、のちに自身もセルフカバーして人気を博した「駅」「OH NO, OH YES!」が入っている。阪田はこの2曲の哀切な旋律をこよなく愛しているという。
「『OH NO, OH YES!』は、韓国のBTSのメンバーも好きなんだそうです。それでまた最近、ブームが来ているらしいです。やっぱりいい曲だなって再確認しました」
平成生まれが新たな昭和を発信
高校時代の阪田が夢中になったのは、いわゆる「ヤンキー映画」だ。「ビー・バップ・ハイスクール」(1985年)、「湘南爆走族」(1987年)。それまで内気で、自分の思いを前面に出せなかった阪田の背中を大きく押してくれた。阪田は振り返る。
「ヤンキーを見て、自分の言いたいことを言ったり、喧嘩したりっていうのが、すごくカッコいいって思って、それでハマりました。女性に憧れます。(「ビー・バップ~」の)三原山順子さんを演じた宮崎ますみ(当時)さんに憧れました」
外国人観光客の「爆買い」が始まったり(2015年)、ドナルド・トランプが米国大統領に決まったり(2016年)したあの頃、阪田は、セーラー服・長いスカート姿の銀幕の女子に見とれていた。格好も豹変する。スクールバッグに「夜露死苦」と書いて、スケバンルックで学校へ。そんな「昭和」への憧れを目指して突き進む阪田を、まわりの友だちはどう見守ったのか。そう尋ねると、阪田は笑いながら首を振る。
「私が『昭和好き』っていうのは知られていて、一緒にカラオケに行くと、『昭和の歌、マリンのために歌ったるわ』って言って友達が歌ってくれました。『でもそれ、昭和じゃないねんけどな……』って。みんなわかってないんです(笑)」
たとえば、久保田利伸の「LA・LA・LA LOVE SONG」。突然のナオミ・キャンベルとのコラボレーションに、当時、筆者などはひっくり返ったものだが、あの曲が発表されたのは平成に替わって8年も経った、1996年のこと。「昭和」なんかじゃない。
「みんな、昭和と思って歌ってくれるんですけど、『ちょっとちゃうけどな』って(笑)」
結局、当時は「昭和好き」の友人を増やせなかった阪田だが、2010年代から飛躍的に広まったSNSが自身の歩む方角を照らしていくことになる。阪田は振り返る。
「『平成生まれで昭和好き』がいるのか、っていうのを確認したくてSNSを始めたんです」
「#平成生まれの昭和好き」
ハッシュタグをつけて投稿を始めると、たちまち大きな反響が起こった。
「もともとSNSなどには『昭和界隈』っていうジャンルがあったんです。『この界隈に新しい子がやってきた!』と。でも、最初は厳しい目で『この部分は昭和じゃない!』『ここはちゃう!』、そういうことを言われました」
最初の頃こそ、昭和に似せた作風に徹底した。中高年層からは「懐かしい」「俺らの時代だ」との反応を得た一方、若い世代からは「古臭い」「何がいいのかわかんない」。そこで阪田は閃いた。
「今、流行っているものと、昭和のものを混ぜて発信したら、昭和を好きじゃない子たちにも、見てもらえるんじゃないか」
阪田は語る。
「髪形やカバン、化粧とかは今風にして、ちょっとバブルスーツだけ挟んでみたり、そういうふうに発信していくことによって、『昭和レトロの服ってかわいい』っていう若い方が増えた気がします」
レトロなファッションを身にまとっているが、手にする小物、メイクは現代風。そうして「昭和」を現代風に再定義して誕生した独特の「昭和」が、阪田の提唱する「ネオ昭和」だ。
高校卒業後、大阪芸術大学に進んでから、映画「シャコタン☆ブギ」に影響され、鈴鹿サーキット(三重)で開催される旧車ファンの祭典に参加。その時、トヨタ・マークIIを前に「ヤンキーピース」をして写った阪田の写真は、旧 Twitter で1,100万回以上の閲覧を記録した。2024年1月現在、「X」のフォロワーが19万人超、「Instagram」が8万人を超える。
不完全の中の美しさを伝えたい
それにしても、「昭和」の何がそんなに彼女を惹きつけるのか。阪田はこう語ってくれた。
「今は便利すぎて、『昭和ならではの感動』がなくなっている気がするんですよ。何でも便利、何でもできる時代に私は生まれてきたんですけど、昔って、不完全の中の美しさがあったと思うんです。電話一本にしても、好きな人と黒電話で繋がり合えた時の喜び、お父さんが出るか、お母さんが出るかわからない状態で電話して、好きな子が出た時の喜び。今は味わえないですよね。相手が出るのが当たり前だから」
たしかに、携帯電話が普及する前を知る人々なら、この感覚を共有できるはずだ。嬉しい時、悲しい時の感情の振れ幅が、令和よりも「昭和」の頃のほうが大きかったはず、阪田はそう力説する。
「『昭和の不完全の美しさ』って言ったら、ちょっと失礼になるかもしれないんですけど、そこの魅力を伝えていきたいなと思います。昭和のものと触れ合うと、……これ、わかってくれる人がいないんですけど、『細胞レベルで、鳥肌が立つ』というか。たとえば喫茶店に入ったら、店内が昭和だった。そうすると『ぞわっ』ってなるんですよ、体が。『昭和やー!』って」
そんな「昭和」のレトロ喫茶店に入ったら、まず阪田はプリンを頼むという。「昭和」の喫茶店の、あの何だか硬めに仕上がったプリン、若者にも支持が広がっているそうだ。
「『ああ、いい揺れ具合!』って(笑)。あとはナポリタン。あの銀のお皿で出てきた時は嬉しいですよね」
憧れはクレイジーケンバンド横山剣
オールドメディアでの発信にも乗り出した。「ネオ昭和」ブームを引っ張る存在として、最近はテレビ番組「マツコの知らない世界」(TBS系)の「昭和レトロ喫茶店の世界」回(2023年11月14日放映)に登場。地元・関西エリアでは、ラジオ番組を担当するようになった。屋上遊園地、銭湯、スキー場、昔の温泉街。「昭和レトロ」「ネオ昭和」をテーマに話を繰り広げると、リスナーから好感触のハガキが届く。SNSのDMやリプライでは味わえない、レトロのぬくもりがここにもある。
音楽事務所に所属する阪田は現在、昭和歌謡のムード漂う楽曲の制作にいそしんでいる。
「どういうワードを入れたら昭和になるのか、日々考えます。たとえば『デュポンライター』とか。あと昔って、イメージやけど不倫にもっと寛容だった気がする(笑)。だから不倫された女の子の歌詞を書いたり」
昭和にあったことを想像し、自分が主役になって歌詞を書く。その瞬間が最も楽しい。そんな阪田の目指す音楽の先端を行くのが、「東洋一のサウンドマシーン」ことクレイジーケンバンドの横山剣だ。
「まず、あの声。声の魅力と、天才的な歌詞。『昭和愛』が伝わる感じが大好きです。声も、歌詞も、歌も全部タイプです」
阪田のように、「昭和」の音楽を懐古趣味ではなく新しいと捉える風潮は、世界にも広がっている。亜蘭知子の「Midnight Pretenders」のサンプリング楽曲を、カナダ出身のアーティスト The Weeknd(ザ・ウィークエンド)が2022年に発表。このほか、松原みき「真夜中のドア/Stay With Me」(1979年)や、大貫妙子、大瀧詠一、山下達郎など、日本の往年の「昭和」を飾ったシティポップがいま、世界で大流行している。阪田はちょっと興奮気味に語る。
「『びっくりドンキー』でハンバーグ食べていたら、店内に亜蘭知子さんの曲が流れたんですね。ほんなら、『え?』みたいな。で、耳を澄ましたら、ちょっと違うんですよね。調べてみたら、『あ、サンプリングしてんねや』って。すごく嬉しかったです。日本のシティポップが、The Weeknd にサンプリングされている」
阪田は続けて、思いがけないグループの名を口にした。
「菊池桃子さんがヴォーカルをされた『ラ・ムー』というグループがありましたよね。当時の人にとっては『なんでそれしてん?』ってなっていたかもしれないですけど、今、『ラ・ムー』ってすごいオシャレだと思うんです」
アイドル歌手として輝いていた菊池桃子の、突然のブラック・コンテンポラリー(ソウルの一種。通称ブラコン)転向宣言(1988年)。音楽はブラコンなのに、歌唱はアイドル路線・ささやきボイスのまま、という、斬新すぎるスタイルに、筆者は当時言葉を失った。びっくりしたのは筆者だけではなかったようで、「ラ・ムー」は翌年、事実上解散することになったが、意外なことに現在、再評価を受けているのだ。
「素晴らしいです。『ラ・ムー』は早すぎた。当時には早すぎました。今やったら、もう爆売れだと思います」
「昭和の街並みを壊さない」
昭和のパラレルワールドのような、独自の世界観「ネオ昭和」。
「いつか純喫茶を開いてみたい。昔あった喫茶店を継いでみるのもいいし、『一日スナック』をやって、『一日ママ』を通じて交流を深めたい。でも、最終的に目指すものは、もっともっと昭和好きの若い人を増やしたいということです」
長年親しまれてきた店や銭湯が、潰れていく。阪田の世代が「昭和」を愛することによって、店を潰さず、受け継ぎ、守っていく。それならば、今しかない。あと数年経ってしまったら、手遅れかもしれない。阪田は力を込めて語る。
「私たち若い世代が全員でめっちゃ愛していくと、残っていく気がするんですよ。それが最終目標です。昭和の街並みを壊さない」
発信力をもつ阪田だからこそ、叶うミッションがある。懐古趣味ではなく、新たな憧憬の対象として、阪田は今日も「昭和」を追いかけ、「ネオ昭和」へと昇華させている。
阪田マリン(さかた・まりん)
2000年、大阪府生まれ。ネオ昭和アーティスト。昭和に今のテイストを盛り込んだ「ネオ昭和」をコンセプトに各種SNSで発信し、幅広い年代の共感を呼んでいる。23年にはネオ昭和歌謡プロジェクトとして、吉田カレンと「ザ・ブラックキャンディーズ」を結成。音楽活動だけでなく、ラジオパーソナリティー、テレビ番組出演とその活動は多岐にわたる。
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