辻堂ゆめ『山ぎは少し明かりて』

辻堂ゆめ『山ぎは少し明かりて』

揺らぐふるさとと憧れ


 ふるさとという言葉に妙に惹かれていた。小学生の頃から。

 ペンネームの「辻堂」は、神奈川県藤沢市にある地名だ。「出身地から名前を取った」と取材などではよく説明する。父は横浜生まれ、辻堂育ち。母も神奈川育ち。つまり私は二世だ。だけど0歳から9歳まで、父の転勤の都合で、私は茨城県水戸市で育った。

 偕楽園の梅を誇る水戸。給食のときに納豆が苦手だと言いづらい雰囲気のある水戸。駅から離れるとのどかな田んぼが見える水戸。大好きだった。当たり前のように、私は自分を水戸の人間だと思い、地域への愛着を醸成していた。

 そんな中で、たまに違和感を覚えることがあった。家でお喋りをしていると、両親に注意されるのだ。石橋さん、という苗字の友達の話をしたとき。数字を60まで数え上げたとき。学校で習った九九を暗誦したとき。先生さようなら、の挨拶を口に出したとき。全部、イントネーションが誤っているのだという。

 両親が標準語話者なのだから、方言を矯正したかったのは理解できる。でも0歳から水戸で育った私は混乱していた。私は水戸出身じゃないのか? 学校で習ったとおりに言っているだけなのに、なぜ注意されなければならないのか?

 その後、小4で父の出身地である辻堂に引っ越すと、両親との食い違いは綺麗さっぱりなくなった。ああ、私の本当のふるさとってこっちだったのかな、と思い始めた矢先、父の転勤でアメリカに引っ越した。中1の5月からの4年間がすっぽり抜けて、私はまた辻堂に戻った。ようやく出身地が神奈川だと言えるようになったのは、居住年数が長くなってきた大学生の頃だ。自分のアイデンティティがついに定まった気がして、深く安堵した。

 それでも、今もネットで心無い言葉を目にすることがある。「うわ、辻堂ゆめって地元出身じゃないじゃん、外部の人間が名乗るのやめてほしいわ」──ごめんなさい、としか言えない。出身とするには小学校に入学しなきゃいけなかった? 中学校を卒業しなきゃいけなかった? 地元の友達から成人式の同窓会のライングループに招待され、喜んで承諾ボタンを押したら、「関係ない人は出てってください」と100人以上が見ているトーク画面で幹事に言い放たれた悔しさは、未だに胸にこびりついている。

 ふるさと。揺るぎないそれを持つ人に、私は羨ましさを抱いているのかもしれない。『山ぎは少し明かりて』は、ふるさとというものの揺らぎと、憧れとを詰め込んだ物語だ。

 


辻堂ゆめ(つじどう・ゆめ)
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、22年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』など多数。

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著/辻堂ゆめ

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