椹野道流の英国つれづれ 第2回
そして、しばらく後。
「出掛けてきます」と、リビングルームでテレビを見ている女主人に声をかけ、私は宿を出ました。
日本ならばよそ行きの服を着るところですが、ちょうど前日、学校の授業で、先生に「日本人の、特に女の子は、とても綺麗な服を着がちでステキなんだけど、あれ、お財布とか狙われやすいから、気をつけたほうがいいといつも思うんだよね。あ、君は大丈夫だね」と特に嬉しくもないコメントを頂戴したばかりだったので、やめておきました。
一応、ワンピースくらいは持って来ていましたが、行き先の治安の良さもわからないのに、ドレスアップはやめておこうと。
一応、先方に失礼にならないよう、小綺麗なコットンシャツとチェック柄のロング丈のスカートという服装に、ショルダーバッグを斜めがけ。足元はコンバースのバスケットシューズ。
私が寝起きしている宿からブライトンの中心街まで、歩いて15分ほどかかるので、とにかく動きやすい服装が何よりなのです。
小さな店が並ぶ通りに出て、まず目指したのは、お花屋さんでした。
二度ほど前を通ったことがあるので、何となく見当はつきます。
辿り着いた、ガラス張りの小さなお店の中では、お花を生けたたくさんのバケツに埋もれるようにして、店主とおぼしき小柄な年配女性がひとり、木製のスツールに座っていました。
白髪交じりの赤毛をサイケな柄のスカーフで包み、デニムのパンタロンに包まれた細い脚を組んで、煙草をふかしているその姿は、まさに70年代。
むしろ新鮮でかっこいい!
私がおずおずと入っていくと、彼女は指に煙草を挟んだまま、
〝Hello, dear〟
と声を掛けてくれました。しゃがれた、これまたかっこいい声でした。
でも、何だか仏頂面。お客さんを歓迎する感じではありません。
たちまち緊張しつつ、私はまたたどたどしい英語で言いました。
「あの、初めて会う人にプレゼントしたいんですけど」
日本のお花屋さんなら、目的を伝えれば、適当な花を取り合わせる、またはアレンジメントを作ってくれることでしょう。
でも彼女は、「ふんふん」と私の話を聞き流し、「で、どの花がいいの?」と訊ねてきました。
「えっと、そういうとき、どんな花がいいでしょう」
そう返した私を、彼女はむしろ不思議そうに見ました。
「何だっていいわよ。あんたの好きな花を選びなさいよ。あんたがプレゼントするんだから」
「私の……好きな花、ですか?」
今となっては、そこでキョトンとしてしまった自分がむしろ謎ですが、当時の私は、本当に「自分で選ぶ」ことができない人間だったのです。
私は、どの花が好きなんだろう。
そんなシンプルすぎる問いにすら答えることができない自分に気づいて、私は押し寄せてくるような花たちに囲まれ、青い顔で立ち尽くしたのでした。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。