特別インタビュー 松下麻理緒さん『不在者 家裁調査官 加賀美聡子』を語る

特別インタビュー 松下麻理緒さん『不在者 家裁調査官 加賀美聡子』を語る

どの母親にも子育てについての後悔はあるんじゃないかと思います

 10年以上前に発表された『誤算』が文庫で異例のベストセラーとなり、一躍注目された松下麻理緒さん。おふたりは、Kさん・Tさんの共作ペンネーム。大きな期待のかかるコンビのミステリ作家が、書き下ろし新作『不在者 家裁調査官 加賀美聡子』を発表しました。長年失踪している、資産家女性の遺産相続人について調査を命じられた女性の家裁調査官が奮闘します。実際に調査官をしていたKさんの知見を生かした、群像ミステリです。『誤算』でファンになった多くの読者が待ち望んだ、新作長編について、込めた思いなどたっぷり語っていただきました。


小さな本当をまぶした大きな嘘のドラマ

──『不在者』を読ませていただきました。人物背景の描きこみに引きこまれる、松下さんならではのミステリでした。家裁調査官の設定は、やはりKさんのお仕事から生まれたものでしょうか?

松下K
 担当編集者さんに「家裁のケースを扱った長編はどうでしょう?」と依頼されたのが最初です。家裁の話は、実はいままで敬遠していました。架空の話を書いていても、仕事で関わった人に「私の話じゃないか?」と、誤解されるかもしれない。それは絶対に避けたかったので。家裁調査官の世界では、内輪の検討会で使用する資料もすべて回収するほど個人情報の扱いは慎重です。まして小説は外部の方の目に触れるものですから、当然ながら完全な創作です。それでも、自分がモデルではないかと勘違いされることが絶対にないとはいえず、誰かを傷つけてしまうかもしれない。それが心配で、ずっと避けていた設定ではありましたが、担当編集者さんのご依頼で、少し前向きに考えるようになりました。

松下T
 Kさんが懸念されるのはもっともですが、家裁調査官の経験を生かさないのはもったいないし、ずっと前からふたりで、失踪宣告(7年以上生死不明の者に対し、法律上死亡したものとみなす効果を生じさせる制度)は、小説にうまく使えたら面白そうねと話していたんです。満を持してというわけでもありませんが、思いきって家裁調査官に取り組むことになりました。あんまり待っていたら、書く機会もなくなってしまいそうですしね。Kさんの心配を払拭するため、小さな本当をまぶして、大きな嘘の話を書けばいいいとアドバイスしました。ストーリーは絵空事でも、細部にリアリティーがあれば説得力が出ますから。

松下K
 警察の統計によると行方不明の届け出は年間8~9万件あって、そのうち8割ぐらいは見つかっていますが、中には長期間失踪したままの人もいます。ただ、7年以上生死不明であったとしても、失踪宣告の申し立てがなされるとは限りませんから、その件数は限られ、全国の家裁に申し立てられる失踪宣告の件数は年間2千数百件というところです。家裁調査官の仕事は不在者を捜し出すことではなく、あくまで失踪宣告の要件を満たしているかどうかの調査なのですが、中には調べていくうちに生存が確認できる場合もありますし、見つかっても見つからなくても、不在者について調べていくと、それぞれのドラマチックな人生に触れることになります。 今回は失踪以外のケースも絡ませ、ドラマをさらに掘り下げていきました。

コンビの関係が物語を完走するための推進力に

松下T
 共作の場合は構成を考える人と文章を書く人というふうに役割を決めていることが多いようですが、私たちは一緒にストーリーを組み立て、分担執筆したものを合体させ、バランスや文体の統一を考えて仕上げていくというやり方が基本です。ただ、作品によって柔軟に役割を分けていて、『誤算』のときは、登場人物の誰と誰はKさん、誰と誰は私というふうに担当を決め、その人の立場になってセリフを考えて特徴を出すというやり方をしました。『不在者』は事情に詳しいKさんが中心になって執筆し、私は身近な、いちゃもんつけ係というか、「ここが分からない」「ここはすごくいい!」と、注文をつけたり褒めたりするのが主な役割でした。

松下K
『不在者』は自分のやってきた仕事に関わる物語なので、書いているとつい入り込んでしまい、一般の方から見ると分かりにくかったり、第三者的な視点が弱くなったりするおそれがありましたから、いちゃもんは大歓迎でしたし、Tさんの点検はとても頼りになりました。

松下T
 Kさんが思いきり自由に書くことを大切に、私は後方支援というか、できるだけ足を引っ張らないように気をつけました。

松下K
 逆にTさんが中心になって書き、私が応援に回った作品もあります。まず書きたい物語が第一で、役割分担とか、コンビの執筆のスタイルは固定していません。

松下T
 編集者と読者の役割を、お互いに引き受けているような感じですね。ふたりとも本当に文章を書くのが大好きで、推理小説も大好き。学生時代に出会った頃と同じ、作品について論じ合う楽しさが、長い物語を完走するための推進力になっています。

──曲によって歌の担当パートを決める、デュオシンガーみたいな関係ですね。

松下K
 ああ、そうかもしれませんね。

──そんなおふたりが『誤算』に続き、人間関係が複雑にこじれた、秀逸なミステリを完成させています。

悪人を描くときにも可愛げを出したい

──主人公の家裁調査官・加賀美聡子は、資産家女性の遺産相続人で失踪中の親族青年・中原薫について調査します。薫の失踪宣告をめぐり、相続人となる親族など、周囲の人たちの思惑はさまざまに交錯します。欲にまみれた人たちなのですが、みんなどこかしら間抜けなところもありますね。

松下K
 彼らがお金に執着するにはそれなりの事情もあるし、百パーセントの悪人というのはいないわけですから、人間臭さというか、可愛げのようなものも出せたらとは思っていました。

松下T
 執筆の最初の段階では、相続人の康夫や晴美など、薫と直接関わりのないキャラクターは、あまり深く書きこまれていませんでした。でも私が指摘したり、Kさんがアイディアを足して掘り下げていくことで、どんどん面白さが増していったのではないかと思います。

──薫の消息を追うことを物語の縦軸として、薫を苦しめている実母の咲江、幼い娘と父親を引き合わせない離婚調停中の麗香という、母親たちの存在が重要な横軸になっています。

松下K
 いわゆる毒親を登場させることは、最初から決めていました。母親は、子どもに対しては無償の愛だけでなく、ときにひどく傷つける毒も持っています。そうした母性の物語としても、読んでもらえたらと思います。

松下T
 Kさんは家裁調査官の仕事で、いろんな家族の係争の事例を見てきました。例えば、わが子を育てられなかった母親が施設からわざわざ子どもを取り戻して、さらに虐待を加える……という例など。どうして? と思いますが、そういうことは実際にあるんですね。理屈に合わない接し方で、子どもを苦しめる毒親を見てきたKさんの経験が、今回の小説にはよく書きこまれています。

松下K
 母性神話のようなものがあって、「母親なんだから」という世間のプレッシャーや自分自身の理想に押しつぶされそうな母親は少なくないんじゃないでしょうか。頑張り過ぎて疲弊したり、子どもを苦しめたいわけじゃないのに過大に期待して追い詰めてしまったり。虐待に至る母親の多くは自信がなく、子どもが自分を愛してくれないことに深く傷ついていたりするんです。私自身、母親としてどうだったんだろうと反省することも多いですし、多少の差はあれ、どの母親にも子育てについての後悔はあるんじゃないかと思います。

松下T
 子育てに自信満々の母親って、いないですよね。

松下K
 そう。咲江や麗香のように自分の心を制御できなくて、子どもを苦しめてしまった母親たちに対して、読者はいろんな感想を持ってくださるのではないかと思います。

自由に生きるため『不在者』になる選択

──薫を自分の思うままにしたい、咲江の身勝手な立ち回りに、周囲は振り回され、調査に当たる聡子もさんざん苦労します。それでもなぜか、咲江が不愉快な人間には感じられません。

松下K
 常軌を逸した激しさで他者を攻撃し、利用し、息子の人生を踏みにじってきた母親ですが、彼女にしか分からない痛みもある。そういうところが描けていればと思います。

松下T
 映画『MOTHER』でも描かれましたが、母親の歪んだ欲望に取りこまれてしまうと、子どもはとことん悲惨になります。自由に生きるために、自分の意志で『不在者』になった薫は、正しかったと思います。

──薫の失踪と、麗香の離婚調停。別々の案件が毒親の問題へと収斂していく構成は見事でした。

松下K
 同時進行する二つのケースがうまくまとまるかどうか最後まで迷いながら書き進めていました。でも、手強い案件を複数抱えて悪戦苦闘するのは家裁調査官の日常ですから、結果的には臨場感のようなものが出せたのかなと思います。

松下T
 聡子が双方の事件を行き来することで、本筋の後半に仕掛けた真相から、読者の視線を逸らせる効果もあったんじゃないでしょうか。

──加賀美聡子の家裁調査官シリーズは、今後も続く予定でしょうか? 

松下K
 それは分かりませんが、もしやるとすれば、少年事件とか、いくつか構想はあります。他にもTさんと書きかけて、まだ結実していない作品もあり、まとめていけたらと思っています。

松下T
 とりあえず、今回の『不在者』が売れてくれないとね。

松下K
 たしかに。それを願いつつ、じっくり丁寧に時間をかけて、コンビの特性を活かして次も書いていきます。

(構成/浅野智哉)
〈「きらら」2020年10月号にも掲載予定〉
 

松下麻理緒(まつした・まりお)
東京女子大学心理学科同期卒のふたりによる共同執筆。それぞれ福岡県生まれの元家裁調査官と東京都生まれの元アナウンサー。2006年『毒殺(ポイズン)倶楽部』で第16回鮎川哲也賞佳作。『誤算』が第27回横溝正史ミステリ大賞・テレビ東京賞を受賞。ほかの著書に『流転の女』『偽画』など。

 


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