瀧羽麻子さん『左京区桃栗坂上ル』
距離を縮めていく恋愛は、
やっぱり素敵だなと思います。
京都の学生たちのキュートな恋愛模様を描いた、
瀧羽麻子さんの人気シリーズ最新作、
『左京区桃栗坂上ル』が6月末に発売されます。
幼い頃の淡い気持ちから、ゆっくりと恋が育まれていく青春小説です。
「左京区」シリーズのファンだという、三省堂書店新横浜店の佐々木麻美さんと
紀伊國屋書店新宿本店の今井麻夕美さんが、瀧羽さんに最新作の読みどころを聞きました。
シリーズの前作までとは違う語り口に挑んだ
きらら……『左京区桃栗坂上ル』は、瀧羽さんの「左京区」シリーズ5年ぶりの新作です。ファンにはおなじみの登場人物・安藤くんと、彼の幼なじみの璃子ちゃんの恋模様を描いた、青春物語になっています。まず、どんな構想で書き出されたのですか?
瀧羽……これまでのシリーズ通り、舞台は左京区にするつもりでした。そして恋愛を題材にした物語にすることも、決めていました。だけど前2作(『左京区七夕通東入ル』『左京区恋月橋渡ル』)でも、恋愛をテーマに書いていましたので、これまでとは異なるアプローチから、ちょっと違うトーンの恋愛ものにしていこうと考えました。
前作までは主人公が誰かを好きになって、恋愛でのドキドキやときめきを主軸にしたお話でした。今回は、もうちょっと引いた目線から描いていこうかと。人に恋する楽しさやドキドキは採り入れながら、登場人物たちを追いかけるタイムスパンを長くとり、恋愛の先にあるものまで、きちんと描写してみようと思いました。
佐々木……私は「左京区」シリーズはすべて読んでいます。実は今回の最新作が一番好きです。
瀧羽……本当ですか! ありがとうございます。
佐々木……出てくる人たち、特に男性が個性的な人ばかりで、引きこまれました。なかでも主人公の安藤くんが素敵でした。身体も心も、どっしり安定感がある巨漢の青年。でも傷つきやすくナイーブな一面も可愛らしいです。もうひとりの主人公の璃子ちゃんが、安藤くんを大好きなのが伝わる場面は、微笑ましく読みました。
瀧羽……これまでの2作にも、安藤は登場しています。何があっても動じない、のんびり者のキャラクターです。そんな男の子が恋をしたらどうなるの? という思いもあって、今回は彼を主人公にしました。
佐々木……恋しているのに、安藤くんは自分では気づいていませんよね。下心なく相手と接しているうちに、自然に相手への思いが深まっていく。そういう子だと思います。安藤くんみたいな人は大好きです。あと今作は語り口がすごく工夫されていました。
今井……璃子ちゃんの人生を追っている三人称の部分と、安藤くんの一人称の話が、交代で出てきます。璃子ちゃんの話を語っているのは、誰なんだろう? と思っていたら、最後の方で、なるほど! となりました。ネタバレになるので詳しく言うのは避けますが、「左京区」シリーズのファンとしては新鮮で、面白かったです。
瀧羽……嬉しいです。1作目の『左京区七夕通東入ル』は花の一人称で、2作目の『左京区恋月橋渡ル』は山根の三人称で書きました。今回は語り口を工夫して、物語のつくりも前作までとは違うものにしたかったんです。気に入っていただけて、ホッとしました。
時間をかけて育まれていく恋のかたち
佐々木……瀧羽さんは、璃子ちゃんみたいな転勤族のご家庭だったのですか?
瀧羽……いえ、全然。阪神大震災のときに短い期間、仮住まいしていたぐらいで、ほとんど生まれ育った家に住んでいました。東京に出てきたときが、初めての大きな引っ越しでした。
今井……そうなんですね。てっきり、小さい頃から引っ越しを繰り返されていたように思っていました。
佐々木……私もです。転勤族の家庭に育つ璃子ちゃんの心情が、とてもリアルでした。彼女は小学校から転校ばかりで、親しい友だちを多くつくれません。なので他の同年代の子よりも、大人びているように見えます。瀧羽さんご自身の経験と重なっていると推測していました。
瀧羽……すみません、ぜんぶ想像でした(笑)。
今井……璃子ちゃんが安藤くんに恋に落ちる感じも、リアルだなと思いました。
佐々木……顔がハンサムだとか、性格がタイプだとか、特に決め手はないですけど、璃子ちゃんはごく自然に、好きになっています。
瀧羽……ふたりの恋愛は、電撃的なきっかけで、恋に落ちたというパターンではありません。そういう恋がある一方で、時間をかけて育まれていく恋のかたちを、じっくり書いていこうと考えました。
1作目を書き出したのは2007年でした。それから10年が経つうち、私も多少は大人になったのでしょう。バーッと突き進んでいく若々しい恋だけではなく、じわじわと心が寄り添っていく恋愛もいいなと感じられるようになったのだと思います。
実際に書いてみると、安藤と璃子の子ども時代の話が、ちょっと長いかも? という気もしました。でも今回は、ひとりの男の子とひとりの女の子が出会い、関係性や絆を確かなものにしていく話です。これぐらい何年ものスパンをかけて書きこんでいかないと説得力がないように感じました。
たとえば、誰かに好意を抱いたりすると、その人の子ども時代のことも知りたくなってきますよね? 今はもちろんだけど、子どもの頃はこんな街で暮らしていたのかとか、こんな人たちに囲まれて育ってきたんだとか、そういうことを知って、相手の過ごしてきた歴史までまるごと愛おしく思えたりもするはずです。そんな時間を積み重ねた恋愛の感覚を、前作までとは違う語り口にこめています。
今井……なるほど。ラストは本当に、安藤くんと璃子ちゃんの過ごした時間の重みがうかがえました。
瀧羽……電撃的に落ちる恋もいいですが、ふたりのように、子どもの頃から少しずつ気持ちを蓄えて距離を縮めていく恋愛は、やっぱり素敵だなと思います。
ひとりよりふたりで過ごす楽しみや喜び
きらら……璃子ちゃんは転校で安藤くんと離ればなれになります。けれど親交は続き、同じ大学に通うようになります。ふたりの友人たちも含めて、一度繋がった縁は、なかなか切れません。人のご縁の力を描いた、大きな物語でした。
瀧羽……ありがとうございます。縁についてだけでなく、『左京区桃栗坂上ル』の裏のテーマが、命です。恋愛にかぎらず、人は他者と知り合い、関係を築き、生活しています。そうやって生きていること自体が、縁や命を、繋いでいくことではないかなと。安藤と璃子が大学の農学部で、植物や動物の命について研究しているのも、この裏テーマと関連しています。
今井……遺伝子と環境について語られる一節もありましたね。
佐々木……そう言われてみると、端々に命の存在を思わせる描写がちりばめられています。
今井……今作を読むと、どんな出会いもないがしろにしてはいけないなと、あらためて胸に留めたくなりました。
瀧羽……いまの若い世代は、あまり結婚したがらない、独身のまま生涯過ごそうという人が多くなっていると聞きます。たしかにひとりは気楽です。昔より社会環境も良くなって、割と楽しく生きていけます。でも他人と一緒にしかできないことは、間違いなくあります。ふたりで過ごせば、ひとりの楽しみとは違う喜びが、生まれてくるのではないでしょうか。独身の私が偉そうに言うのも何ですが(笑)、それでも人と関わることの楽しさや喜びは、肯定していたいです。
今井……意外な話が面白かったり、物事の新しい見方を教えてもらったり、人と関わるのは、いい発見になりますよね。私もまだ独身ですけれど、人との出会いは否定したくないです。
瀧羽……安藤と璃子のように、出会いは人生を変えますからね。
佐々木……私の娘は昨年、結婚しました。旦那さんというのが、実は娘と幼稚園で出会った、幼なじみの子なんです。
瀧羽・今井……えー! 本当ですか!?
佐々木……もう孫までできちゃって。
瀧羽……おめでとうございます!
佐々木……旦那さんの小さいときは、幼稚園の砂場で娘とじゃれあっていた記憶くらいしかないんですけど(笑)。成人式の同窓会で娘と再会して、そこからお付き合いするようになったらしいです。
今井……すごい、璃子ちゃんの男性版のような。
瀧羽……本当にそんなことがあるんですね。
佐々木……娘夫婦と、安藤くんと璃子ちゃんの関係が重なり、今回の小説はよけいに思い入れが深いんです。個人的に、とても大事な作品になりました。
瀧羽……光栄です。ありがとうございます。
長く続いたのは 登場人物たちとご縁があったから
瀧羽……「左京区」シリーズは私にとって、非常に思い入れのある作品になりました。大好きだった京都の大学時代を書いていることも特別ですし、登場人物たちと一緒に歳を重ね、成長している気がします。10年こつこつ書きながら、小説のなかで、私自身が大事な出会いを重ねているような。それこそ彼らとのご縁があって、書いている小説なのでしょう。
今井……ぜひこの先もシリーズを続けてください。スピンオフで主人公にしてほしいキャラは、何人もいます。
佐々木……ファンとしては、寮長のお話が読みたいです!
瀧羽……実はそれも考えていたんですよ。ただ、彼は計り知れない人物なので、ほとんど神様のような視点になってしまって、違う話になりそうだなと。主人公にするのは、けっこう難しい気がします。
佐々木……京都のような、何でもあり得そうな街が舞台なら、いけるんじゃないでしょうか。
瀧羽……そうかもしれませんね。他の登場人物の物語も、温めていきたいです。
まずはシリーズ最新作の『左京区桃栗坂上ル』を、楽しんでいただきたいです。以前からの読者の方には、おなじみの登場人物たちとの再会を喜んでもらえるように、初めての方には本作だけでも面白く読んでもらえるように気をつけました。『左京区桃栗坂上ル』を入り口に、『左京区七夕通東入ル』や『左京区恋月橋渡ル』もあらためて手に取っていただけたら、嬉しいです。