週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.80 八重洲ブックセンター京急百貨店上大岡店 平井真実さん

目利き書店員のブックガイド 今週の担当 八重洲ブックセンター京急百貨店上大岡店 平井真実さん

鎌倉駅徒歩8分、空室あり

『鎌倉駅徒歩8分、空室あり』
越智月子
幻冬舎

 家から30分ほどの距離に鎌倉がある。出身どこ? と聞かれると「横浜です」と答えてきた私だが、実際は横須賀市、逗子市の境目のぎりぎりハマっこである。だからなのか桜木町やみなとみらいなどのザ・横浜よりも実は鎌倉の方が行きやすく居心地がいい。神社仏閣を訪ねるのが好きなのも、より鎌倉の居心地の良さにつながっているのかもしれない。
 ついこの間まで放送していたドラマが大ヒットし、休日の鎌倉がとても混んでいると友人から聞き、混んでいるのが苦手な私はずっと足が遠のいてしまっていた。

 ある日いつものように新刊を品出ししていた時、シンプルですっきりとした装丁の小説に目が留まった。白と紺でまとめられ、差し色に赤が映えて素敵。そしてなによりもタイトルにとても惹かれた。越智月子『鎌倉駅徒歩8分、空室あり』である。
 帯に「人付き合いの苦手な私が、シェアハウス始めました 鎌倉の古い洋館を舞台に訳ありな住人たちの日常を描いた物語」「朝は淹れたてのコーヒー、土曜日は賄いのカレー付き。」
 紅茶やコーヒー、そしておいしい食事が出てくるコージーブックスシリーズが大好きで、鎌倉も好き、なんならミステリ好きとして古い洋館なんてきてしまったときにはもう買わないわけがない! と即購入。さっそくパラパラと家でページをめくっていると、最後にカレーのレシピまで書かれていた。小説を最後まで読むとこのレシピの正体がわかるのだが、食べている様子が本当に美味しそうで作ってみたい! ときっと皆が思うだろう。この痒い所に手が届く感じがたまらない。

 鎌倉駅徒歩8分、小町通りを通って赤い鳥居を左に曲がった先にある大正時代に建てられた洋館。そこを自宅兼「おうちカフェ」として営業している主人公の尾内香良。父が世界各地で飲んだコーヒーに魅せられ早期退職をして始めたカフェだったが、病によって突然亡くなってしまう。母は小さいころに家を出ていってしまっており今は一人で暮らしている。香良は大学を出て20年働いていた眼鏡屋をやめ42歳で退職をした。そんな香良のもとに大学時代の「心友」三樹子が離婚をし突然鎌倉にやってくる。三樹子の提案で洋館の使っていないたくさんの部屋を貸してシェアハウスを始める二人。条件は女性であることと昭和生まれであること。シェアハウスに一人、また一人と住民が増え、一緒に暮らす五人の女性の共同生活とそこに至るまでの一人一人の話が一章ごとに丁寧に描かれていく。そして最後には香良の母のことも。

 女性が五人もいればもちろんぶつかることもある。少しずつ自分のことを話し理解していく生活の中で香良が話した一言が胸に響く。「みんなそれぞれ他人に触ってほしくない部分ってあると思うの……本人にとっては大変な悩みでも他人から見ればたいしたことなかったり、その逆もあったり。……そんな中で、違いは違いとして、認め合えればいいなと思っている。だからえっと、これからもお互い傷つけあうことがあるかもしれないけど、どうか心だけは閉ざさないで」と。
 普段の生活や職場でも同じことがいえるのではないか、と思った。心を閉ざして他人を受け入れられなくなってしまったら、もうそこですべて終わってしまう。たとえ意見が異なったとしても心を閉ざすことなく歩み寄れる人でいたいと思う。

 読んでいる途中に涙が溢れてしまう場面が多く、電車の中で読んでいて文字が追えず大変だった。あれもこれも紹介したいところが多く、すべてを話せないことが(ネタバレになってしまうため)苦しいが、読み終えた人とたくさん語り合いたくなる作品である。読み終えるころには一人一人(と一匹)が愛おしくなってしまう。
 作品の中にたくさんの美味しそうな料理と様々な種類のコーヒーが描かれており、特にコーヒーは絶対といっていいほど飲みたくなるので、読書のおともに準備をぜひ! そして鎌倉の神社仏閣も多く出てくるので、春が来たらこの本を持ってまたゆっくりと鎌倉散策に出かけようと思う。

 

あわせて読みたい本

鎌倉の古道と仏像

『鎌倉の古道と仏像
原田 寛
JTBパブリッシング

 鎌倉のガイドブックは色々と出ているがお寺や仏像、庭や古道がとても美しく見事な写真で多く紹介されているこのガイドブックを一番おすすめしたい。たとえ行けなくても鎌倉の四季を感じられる、見ているだけで楽しく鎌倉の歴史まで詳しく知ることができる1冊である。仏像がふんだんに紹介されているところも仏像好きとしてはたまらない。今回紹介した『鎌倉駅徒歩8分、空室あり』の中に出てきた神社やお寺、そして源氏山も写真で紹介されているので、小説を読んで気になった方はぜひ。

 

おすすめの小学館文庫

左京区七夕通東入ル

『左京区七夕通東入ル』
瀧羽麻子
小学館文庫

 ご当地小説、神社仏閣繋がりで京都のものも。この作品を読み返すたびに甘酸っぱさに胸が苦しくなり、生まれ変わったら花ちゃんとたっくんになりたい!!と思う。寮がある同じような大学生活を送ってきたのにどうして私は花ちゃんになれなかったのだろうか。自分の中のキラキラが失われてしまいそうなときに薬のように読んでいる1冊です。

椹野道流の英国つれづれ 第5回
SPECIALインタビュー ◇ 加納愛子『これはちゃうか』