週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.120 八重洲ブックセンター京急百貨店上大岡店 平井真実さん

目利き書店員のブックガイド 今週の担当 八重洲ブックセンター京急百貨店上大岡店 平井真実さん

 幼いころ悩みを一人で解決できないと感じたらおまじないや占いをみてその結果に心の平安を保っていた時期があった。同じ世代の女子だったらきっと1回は読んでいたであろう雑誌「 My Birthday 」。いろいろなおまじないが書かれている中、強く記憶に残っているのが消しゴムに好きな人の名前を書いて誰にも見つかることなく使い切ると恋が叶うおまじない。クラスの女子が皆でやっていたのを覚えている。科学的ではないのだろうけれど、それをおこなうことによって自分を強く信じる力や一歩踏み出す勇気が出ていたのだと思う。
 最近の私は自分でも言葉にすることができないモヤモヤがつきまとい身動きが取れないことが多く、ずいぶんと離れていた占いやおまじないに気持ちを委ねてみようかと思っていた。

リカバリーカバヒコ

『リカバリーカバヒコ』
青山美智子
光文社

 そんな時に出会った1冊、青山美智子さん『リカバリー・カバヒコ』。アドヴァンス・ヒルに住む人々とその近隣のクリーニング店、そして近所の日の出公園にあるオレンジ色のアニマルライド、カバのカバヒコをめぐる5話の連作短編集である。
 作中に出てくる主人公たちは皆それぞれの悩みを抱えており、ところどころ塗料が剝がれていて口がにいっと横に大きく広がっている、なんとも間の抜けたあきれるほどのんきな表情で鎮座しているカバヒコを訪ねてくる。サンライズクリーニング店のおばあさんが来店した人にこう伝えていたからだった。「わたしなんてカバヒコの腰をなでたらヘルニアが治っちゃったんだから。人呼んでリカバリーカバヒコ……カバだけに」と。彼らは半信半疑だったり藁にも縋る気持ちだったりでカバヒコを訪ねる。ここでは5話のなかの3話目を紹介したい。

 3話目の主人公はブライダルプロデュースの会社で働いている新沢ちはる。ストレスや過労で引き起こされたであろうと診断された耳管開放症を発症し体重も急激に減り職場を休職せざるを得ない状況になっていた。同業他社から転職をしてきたテキパキと働いていく一つ年下の澄恵の存在によって余裕のない状態になり、営業ノルマもこなせず焦燥感にかられ自己嫌悪に陥っていた。私も澄恵のようにならないといけないのだろうかと。そんな考えを巡らせながら歩いて入った公園にあったカバヒコを見て心がふと緩んだちはる。心が落ち着くものの語り掛けることによって自分の心を鏡にうつすことになりおそろしくなってしまう。そんなときクリーニング店のおばあさんにかけられた言葉「先のことじゃなくて、誰かのことじゃなくて、今の自分の気持ちだけ見つめてごらんよ。飴でもなめながらさ」その言葉に背中を押されたようにカバヒコに会いに行き思いのたけをカバヒコに打ち明けていくちはる。
 この後に描かれる休職前に担当したお客様からの手紙とちはるの決断に涙が止まらなかった。ぜひ作品を手に取って読んでほしい。5話目の主人公も、え!? と思う人なのでぜひ。

 カバヒコに出会い語り掛けることで自分の気持ちにまっすぐ正直に向き合い、ゆっくりと前に進んでいく姿と、作品の中のメッセージ「不安な気持ちに立ち向かうよりそらすことも大事。まずは目の前のことだけ集中して考えることからやってごらん」という言葉に心が救われる。ただのおまじないかもしれないけれど、信じることで自分の気持ちと向き合ってこれからも悩みながらもひとつひとつ進んでいきたいと思う。

 

あわせて読みたい本

東家の四兄弟

『東家の四兄弟
瀧羽麻子
祥伝社

 私の中の永遠の恋愛小説『左京区七夕通東入ル』の作者瀧羽さんの新刊は男ばかりの4兄弟の日常を描く作品。父と次男の真次郎は占い師、長男の朔太郎は苔の研究者、三男は繊細な会社員の優三郎、大学生の末っ子恭四郎、そして子供時代の過去を話さない母と幼馴染の瑠奈。ある日ふと優三郎が占ったタロットで「塔」のカードを引いてしまう。前回これを引いたときは合格が確実と言われていた大学受験の前日に高熱を出し落ちてしまった過去があった。ここから様々な事態が巻き起こるのだが、文章でぐいぐいと読ませ、決して嫌な気持ちになることがなく温かいものが根底に流れている作品は瀧羽さんの真骨頂。占い師という言葉に惹かれて読み始めたが、ただただこの家族が大好きになってしまった。

 

おすすめの小学館文庫

口福のレシピ

『口福のレシピ』
原田ひ香
小学館文庫

 実家が江戸時代から続く品川料理学園を経営している留希子と、昭和初期にその品川家に女中として働いていたしずえの物語。二つの時代が並行して描かれていき最初はとまどうが、読み進めていくと徐々に繋がっていく様は圧巻。定番料理などのレシピは今では当たり前にネット検索で出てくるけれど、このように最初に試行錯誤し人生をかけて研究してくれた人がいてこそのものだと実感する。様々な料理やお酒が出てくるのでゆっくりと時間をかけて料理を大切に作りたくなる作品。

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第119回
◎編集者コラム◎ 『THE MATCH』ハーラン・コーベン 訳/田口俊樹 訳/北綾子