飛鳥井千砂さん『見つけたいのは、光。』

飛鳥井千砂さん『見つけたいのは、光。』

みんなグラデーションの中で生きている

 飛鳥井千砂が久々に新作を上梓。『見つけたいのは、光。』は、仕事と育児をめぐる物語。復職したい母親、職場でマタハラを訴えられた女性、人気育児ブログの書き手という、まったく異なる立場の三人が偶然集まった時、そこで繰り広げられる会話とは? 今の時代の問題点をあぶり出す意欲作だ。


きっかけとなったのは友人たちの存在

「子供を産んだ人の生きづらさが影響して、産んでいない人も生きづらくなるという悪循環がずっと続いているという実感がありました」

 と語る飛鳥井千砂さん。久々の新作『見つけたいのは、光。』は、立場の異なる三人の女性の交流を描いた、どんな立場の人にとっても共感と発見の多い長篇だ。

 視点人物の一人目は、三十五歳の亜希。以前は派遣社員として働いていたが、妊娠を報告した直後に雇い止めにあい、今は一歳半の息子、一維の育児に追われている。夫の英治の給料が高いとはいえないため亜希も復職したいと思っているが、保育園が決まらない。

「最初に浮かんだ人物は亜希でした。頭にあったのは自分と同時期に不妊治療を経て出産した友人です。その友人は亜希のように契約社員として長年勤務して責任ある仕事を任され、でも正社員採用は延ばし延ばしにされていて。そろそろ採用かなという時期に妊娠がわかったら、逆に雇い止めにあってしまったんです。生活の基盤になる仕事とお金がなくなって、保活(子供を保育園に入れるための活動)をしようとしても職がないことが不利になり、職を探そうとすると〝保育園が決まっていないとね〟と言われてしまう。鶏が先か卵が先か、という状況で、とても困惑していて。同じ思いをしている母親は多いんだろうなと感じました」

 視点人物の二人目は、三十七歳の茗子。結婚して六年になるが子供はいない。職場では長年にわたり、産休や育休をとる同僚女性たちの分の仕事を抱えてすっかり疲弊している。

「茗子については別の友人のことが頭にありました。その子は結婚しているけれど出産はしていなくて、茗子と同じように職場では同世代の人たちの産休や育休や、子供が熱を出したのですぐ帰らなければいけないといった状況の際、彼女たちの分の仕事を引き受けていて。男性上司は部下の女性たちに、〝あなたたちでなんとかしなさいね〟という態度で、その状態が十年くらい続いている。友人はもともとみんなに気を遣う子なんです。でも作中に似た場面を書きましたが、会社の面接に来た女性に〝出産を考えているんですが、育児制度は利用できますよね?〟と訊かれたことがあって、それを〝本当に迷惑〟って、はっきり言ったんです。私の友達の中でも一番くらいに優しかった子がそう言うのを聞いて、これは彼女の問題というよりも、十年間の積み重ねで彼女を追い詰めた状況に目を向けなければいけないなと感じました。どちらの友人の場合も、根本の問題は一緒ですよね。なので両方の立場を書くべきだと思い、そこからこの小説の構成が生まれていきました」

 茗子の場合は他にも問題がある。夫の尚久は帰宅後はずっとゲームにいそしみ、妻がどんなに疲れていようと家事は一切しない。かつて茗子が流産した時も酷い言葉を投げつけており、読んでいてゾッとするほど。

「育児を通して出会った人たちと話していると、家事は妻がするのは当然と思っている人や、モラハラ的な発言をする男の人がまだまだ沢山いるんだと驚きます。特に家事は妻がするという考え方は、そちらの方がまだマジョリティなのかもしれないと感じたところから出てきたのが、茗子の夫の人物像です」

育児ブログに救われる人、怒る人

 まったく異なる場所で生活する亜希と茗子だが、ひとつだけ共通点がある。それは光という四十歳のシングルマザーの育児ブログをよく覗いていること。「育児はこうするべき」「母親はこうあるべき」といった主張にとらわれず、上手にストレスを発散しながら二人の子供を育てている彼女は、『子供は希望そのものなのに、子供を産んだら何かを諦めなければならない。苦痛に耐えながら育てなければならない。それが当たり前という社会はおかしくないですか』などと発信し、女性専門の就職会社を設立する決意を述べている。

「亜希と茗子の中間に立つような存在を書きたいと思いました。私が出産した時、当初は子供が医療的ケア児だったことや、自分がフリーランスだったことから保活は不利だろうなといろいろ悩んで。その頃に、働く母親のために起業した女性社長さんに出会ったんです。明るくて合理的な方で、今の世の中の育児環境に怒りを感じつつも、そのうえで何ができるか前向きに考えるタイプ。こんなふうに乗り越えていけばいいんだという姿を目の前で見せてもらいました。光に関してはその方が参考になっています」

 亜希は光のブログを読んで励まされているが、茗子は違う。キサラギというアカウント名で、「子供を産んだら何かを諦めるのは当然だと思います」などと、毎回攻撃的なコメントを書き込んでいるのだ。というのも以前、妊娠休暇(妊娠中に通院などのために与えられる有給休暇)を利用して旅行したことなどを堂々と言う後輩女性に「少しは迷惑をかけている自覚を持ってもらわないと…」と言ったところ、マタハラを受けたと訴えられたのだ。この後輩の、これから妊娠する人たちのためにも休む権利を行使したい、といった主張と光の主張が重なるため、ブログを攻撃することで鬱憤を晴らしている様子。

「この後輩はきっと、逞しくサバイブして生きていくタイプの人だろうし、ある意味称賛したいくらい。でも、彼女をフォローしている人の前でデリカシーのない発言をするから、周囲は傷つく。難しいなと思います」

本音と発見が二転三転する会話劇

 ある時、光が「私も人間ですから、酷いことをされたら傷つきます」などと告げてブログの更新をストップしてしまう。亜希も茗子も、キサラギの中傷が理由ではないかと気に掛け、動揺する。そこから事が転がり、やがて三人は島根県の出雲で思いもよらぬ邂逅を果たす。そこではじめて明かされる光の実像とは──。

「育児というテーマとは別に、SNSを通してイメージが出来上がっていた相手が実はこういう人だった、というのがちょっとやりたかったんです(笑)。ネットって顔も見えないし厳選した言葉だけ載せられるから、すごく神格化される人もいる。でもそういう人だって普段の生活ではだらしない部分があったり、情けない部分があったり、可愛い部分があったりする。それがわかると、ああ自分と一緒なんだと思えて救われることもありますよね。その感じがやりたかった」

 意外な一面といえば、茗子が日頃、乙女ゲームで遊んでいる様子も、そう見えるかもしれない。

「働く女性は格好いいというイメージを持たれ過ぎている気がして。当たり前ですけれど、そういう人だってゲームに夢中になったりアイドルの話で盛り上がったり、俗っぽいことを楽しんでいたりしますよね。私は人のそういうところが好きなんです。ずっと頑張っていて完璧に見える人の可愛い部分を書きたかったのかもしれません」

 彼女たちが出くわす場所を出雲にしたのは、

「疲れた女性がどこに行きたいか、編集者さんといくつか候補を出しました。そのなかで、出雲は、少しでもいいから前に進む感じ、光のある感じがする場所かなと思って。私は大学の国文科で『古事記』などもかじっているんですけれど、日本の神様って可愛いんですよ。神様たちも飲んで騒いでハメ外していたりして、それが彼女たちとリンクしたのかも(笑)」

 三人がお互いの素性を知らぬまま、出雲の小料理店で出会ってからの会話が実にスリリング。徐々に本音が引き出され、不満や疑問が噴出し、少しずつ混乱していた意見が整理されて二転三転していく会話劇は、どの言葉も説得力たっぷり。また、時に感情をむき出しにする彼女たちに耳を傾け、優しいリアクションを見せる板前さんもチャーミング。

「板前さんはいい感じにパスを出してくれる人です。彼女たちの普段の生活では関わりのないタイプですが、こんなふうに旅先でちょっとだけ会った人に救われることってありますよね」

 互いの立場と状況が明かされ、心情が吐露されていくなかで、次第に彼女たちは、疑問や不満の根本的な部分がどこにあるかに気づいていく。〈茗子さんが、迷惑って言ってしまったことを、悪かったって思ってるのは本当だと思うんです。でも、『悪い』の方向性が違う気がして〉という亜希の言葉から少しずつ、それが解明されていく過程にスッキリ。また、茗子が、母親となった女性たちに対して密かに抱いていた意外なコンプレックスと、それに対する亜希の真摯な返答にもはっとさせられる。

「生き方が多様化した現代のコミュニケーションには、相手の深い部分に踏み込まないマナーみたいなものがある。それは社会が長い時間をかけて育ててきたものだし、私もそうであってほしいと思います。でも、そのマナーがあるからこそ、相手が本当はどう思っているか聞けないままでいたり、こちらからも打ち明けられなかったりすることもある気がします」

飛鳥井千砂さん『見つけたいのは、光。』

 そんな時、人はよく「この人は母親という立場だからこう思っているんだろう」「子供のいない人はこう思うのだろう」と、その人個人ではなく、属性をもとに決めつけてしまう側面がある。飛鳥井さんにも、印象に残っている出来事があるという。

「独身で仕事も趣味も充実して楽しそうに生きている40代の友人がいるんです。彼女には離婚歴があるんですが、いつも上司の男性が彼女がバツイチであることをネタにするので、やめるよう頼んだら今度は絶対に言っちゃいけない案件扱いされて、〝彼女は仕事に生きるって決めたんだからそこは触れるな!〟と言うようになったらしくて。そうしたら彼女がふと、〝このままずっと一人で生きていくって決めてるわけでもないんだけどね〟って、はじめて本音を漏らしたんです。私はそれまで彼女の本音を訊こうとしなかったし、彼女も訊かれないから言わずにいたんだと気づきました」

 もちろん、友人のその時の本音がどこまで真剣なものかはわからない。

「人って、〝自分はこうして生きていきたい〟と決めてずっとそのままでいるわけじゃないですよね。みんなグラデーションの中で生きていて、今自分がどこにいるのかわからない時もあれば、気づいたらここにいた、ということもありますよね。それなのに、決めつけたり限定したりされたりして生きづらくなることって、社会の色んな場所で起こっていると思います」

 飛鳥井さんはいつだって、グラデーションの中で迷いながら前に進む女性を描いてきた。

「私自身にどこか異文化交流したいという気持ちがあるというか。自分と違う視点や価値観を持っている人の気持ちを少しでも理解したいと思っています」

 だからこそ、亜希や茗子、光というまったく違う立場の女性たちそれぞれの本音を、ここまで掘り下げることができたのだろう。本音をぶつけあった彼女たちの後日譚には胸が熱くなる。

 今回、新作の発表は実に五年ぶり。飛鳥井さんらしいフェアでフラットな視点にまた触れられたことが、読者としては嬉しいかぎり。

「弱音を吐くと、子供が医療的ケア児だった頃や、コロナで生活に負荷がかかった時は、この先小説を書き続けるのは難しいかなと思ったりもしたんです。でも今は少しずつ、書くことに時間をまわせるようになってきました。その時その時の自分が書けるテーマを丁寧に選びながら、徐々に執筆ペースをあげていきたいです」

見つけたいのは、光。

『見つけたいのは、光。』
幻冬舎

飛鳥井千砂(あすかい・ちさ)
1979年生まれ。愛知県出身。2005年『はるがいったら』で小説すばる新人賞受賞。著書に『君は素知らぬ顔で』『タイニー・タイニー・ハッピー』『女の子は、明日も。』など多数。

(文・取材/瀧井朝世 撮影/浅野 剛)
「WEBきらら」2022年8月号掲載〉

◎編集者コラム◎ 『聖週間』アンドレアス・フェーア 訳/酒寄進一
◎編集者コラム◎ 『恋文横丁 八祥亭』立川談四楼