今月のイチオシ本 【エンタメ小説】 吉田伸子

『そのバケツでは水がくめない』
飛鳥井千砂
祥伝社

 中堅のアパレルメーカーに勤める佐和理世は、勤続四年めにして、新ブランドの創立メンバーにMDとして加わることに。ヨーロッパのアンティークスタイルを、現代日本のファッションに融合させる、という理世のアイディアが採用されたからだ。当初決まっていたデザイナーが降板となったため、新たにデザイナーを三人探すことになった理世たちだが、そのうち二人は順調に見つかり、最後の一人も、理世が偶然立ち寄ったカフェで目に留めたバッグをデザインしたkotoriこと、小鳥遊美名に決まった。かくして新ブランド「スウ・サ・フォン」はスタートしたのだが……。

 理世は以前から広告・宣伝課の主任による社内セクハラに悩まされていた。そのことを美名に相談したことで、二人の関係は一気に近づく。最初はMDとデザイナーというオフィシャルな関係だったのだが、以後、美名は、じわじわと公私の境を狭めてくるように。

 公式にはデザイナー名であるkotoriを名乗っている美名だが、理世にだけは、美名と呼ばれたい、と言い出したあたりから、読んでいて、あ、この女、ヤバイ系かも、という予感が薄ら漂ってくるのだが、それがどんどん確信に変わってくる展開は、まるでサイコホラーのようでもある。

 くるくると変わる美名の感情に翻弄され、疲弊していく理世だったが、それでも美名が仕事上のパートナーであることには変わりなく、理世は次第に精神的に追い詰められていく。やがて、ブランドのコンセプトをめぐり、美名が打ち出した新しいデザインを理世が支持しなかったことが引き金となり、美名の"正体"が徐々に明らかになっていく。

 巧いなぁ、と思うのは、美名を一方的にモンスターとして描くのではなく、その美名に付け入られてしまう理世の"隙"や"甘さ"までをも描いているところ。美名のバケツには"穴が空いている"ことに気づくのが遅すぎる理世にも、読者は焦れる。その塩梅が絶妙だ。物語巧者である飛鳥井さんの本領を、存分に味わえる一冊である。

(文/吉田伸子)
〈「STORY BOX」2018年3月号掲載〉
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