宇野 碧『レペゼン母』

分かり合いたい

宇野 碧『レペゼン母』

 和歌山で梅農園を経営する〝おかん〟がヒップホップという武器を片手に、逃げ癖のついたダメ息子とラップバトルに臨む。第一六回小説現代長編新人賞受賞作『レペゼン母』は、斬新にしてキャッチーな物語の展開を追ううちに、やがて人生にまつわる普遍的なメッセージへと辿り着く。


自分は何者であるかというリアルを表明

 ビートに乗せて即興のラップを披露し、お互いのスキルを競い合うラップバトル(MCバトル)がお茶の間に浸透したきっかけは、テレビ朝日系で放送されたバラエティ番組『フリースタイルダンジョン』(二〇一五年〜二〇二〇年)だ。『レペゼン母』の著者・宇野碧も同番組を通して初めて知ったそうだが、経緯は少し複雑だった。

「もともとラップミュージックはマッチョでギラギラしているイメージを持っていたので、自分には縁がない音楽なのかなと思っていました。でも、ある時ネットニュースで『フリースタイルダンジョン』に出演した女性ラッパーの椿さんが、対戦相手の男性ラッパーからミソジニー的な攻撃を受けた、という記事を読んで気になったんです」

 ラップバトルには対戦相手をディスる(罵倒する)ことで精神的に打ち負かす、という勝利の方程式がある。その際、女性のラッパーは「女らしくしろ」「女のくせにラップなんか」と、男性のラッパーから攻撃されることが多い。

「女性であること自体が不利になる男性だらけのマッチョな場では、どんなに能力があっても女性が勝てるイメージが湧かなかったんです。どういう女性だったら勝てるんだろうと考えていったところで出てきた答えが、おかんでした。しかも、関西のおかん(笑)。そこから、おかんとラップバトルという着想が生まれました」

 着想を得てから約一年間、ラップバトルを浴びるように視聴しさまざまな音源も聴いて、ヒップホップ文化に関する書籍に目を通したという。ラップにおいて重要なのは、自分はどこから来て今どういう環境にいるのかという履歴と、自分は何者であるかという「リアル」を表明することだ。そのため、執筆にあたって最も重視した点は、主人公であるおかんの「リアル」な人物設定だった。

「口が達者で頭の切れるおかん、となると経営者かな、でも頭だけを使ってする仕事ではないなと直感的に思いました。ラップって身体性と強く結び付いているものなので、体を使って働く、地に根差した仕事なんじゃないかな、と。梅農家の描写のリアリティーには、実際に収穫期の一ヶ月にバイトした経験が生きました」

 六四歳の深見明子は、和歌山の田舎で大規模な梅農園を経営している。夫を三〇年以上前に亡くしたシングルマザーであり、一人息子は三年前から行方不明になっていて、息子の嫁と二人暮らしをしている──。

マザーファッカー!はおかん相手に言えない

 冒頭、孫ほどに歳の離れた義理の娘・沙羅やアルバイトの人たちと梅の収穫をする描写は、ほのぼのと楽しい。ところが、ヒップホップ好きの沙羅がMCバトルの大会に出場し、男性ラッパー・鬼道楽からミソジニー溢れる言葉を喰らって負けた。その姿を、明子は観客席から目撃する。沙羅は別の大会で鬼道楽と再戦する予定だったが、前回の対戦のトラウマが蘇りステージ裏でダウンしてしまう。呼びに来た運営スタッフに棄権ですかと問われたところで……「私は沙羅の母です。急病なので代わりに出ます」。

 アラ還のおかんをラップバトルの舞台に上げる、という展開にどう説得力を持たせるか。相当腐心したのではないかと想像していたが、意外とすんなりいけたそうだ。

「プロットは決めずとにかく頭から順番に書いていったんですが、いざ明子の前にマイクが現れたらすんなりでした。母親にはマイクが必要だ、という気持ちが以前からあったんですよね。ツイッターで育児の過酷さや母業の理不尽をつぶやく母親が多いけれど、本当はツイートではなくシャウトしたいはず。そのチャンスを待っているところがあると思うんです」

 作中に登場するラップのリリックは本格的で、いかに「場の空気」を味方に付けるかというパラメーターを重視した、個々のラップバトルの勝敗にも説得力がある。いくつかのバトルを経たのちに後半で実現する、母と息子のラップバトルという斬新すぎる展開も絵に描いた餅にならなかった。作家自身、最初は思いつきだったこの組み合わせに、必然性を強く感じていた。

「ヒップホップについての知識を深めていくうちに、最初はかけ離れているように思えた〝おかんとラップ〟がどんどん結び付いていったんです。ヒップホップの表面を取り払って哲学として捉えると、母親にこそ必要なものだと思えた。表面的には息子の世界のものであったヒップホップというツールでおかんは力を得る。そして、定番の罵倒の言葉『マザーファッカー』が言えないおかんという存在そのものが、表面的なものを無効化する。面白い化学反応が起きる予感がしました」

 稀代の名ヒロインに特定のモデルはいないが、執筆が半ばを過ぎたところで知ったラッパーの存在は、後半部を書き進めていくうえで精神的な支えになったという。二〇二〇年にメジャーデビューを果たした沖縄出身のフィメールラッパー、Awich だ。

「〝本物のレペゼン母がいる!〟と思いました。Awich さんは、ラッパーとしての圧倒的な才能に加えて母だからこそ出せる凄みや説得力がある。比べると、ワルぶっている男性ラッパーが幼稚に見えてきてしまうほどです。改稿時は Awich さんの『やっちまいな (feat.ANARCHY)』を聴いてテンションを上げながら書いていました。ちなみに、まったくの偶然なんですが、Awich さんの本名もあきこ(亜希子)です(笑)」

自分を分かってほしい心情の根底にあるもの

 書き進めながら、親子関係にまつわるさまざまな記憶が引っ張り出されていったそうだ。

「小さい頃に自分の親に言われたりされたりして傷ついたことは、大人になった今でもよく覚えています。それなのに、私も子どもたちに親目線からの一方的な意見や価値観を伝えてしまったことがいっぱいあったじゃん、と(苦笑)。ビートに乗って言葉をポンと出すと、その言葉に自分が流されていって、思ってもみないような別の言葉が出てくる。フリースタイルラップのグルーブ感は、小説を書いている時の感覚と近いかもしれません」

 親子関係の芯にあるものは何なのかも、書き進めるなかで探り当てた感触があったという。

「明子のコーチ役を買って出た沙羅が〝本当の勝負って、相手を理解することじゃないかな〟と言っていますが、相手に自分のことを分かってほしいし相手のことも分かりたい、つまり分かり合いたいという気持ちをみんな持っている。その気持ちはどこから始まっているかといえば、親子関係にあるんじゃないかな。

 生まれた瞬間から始まる親子関係は、その後の全ての人間関係のベースになりますよね。親に認められたい、親に自分のことを理解してほしいという心情は、生涯尾を引くものなんじゃないかなと思うんです」

 本作は、ホンネで話し合うためにはラップバトルをする以外ない、というところまで追い詰められた特殊な母と息子の物語である。と同時に、あらゆる親子とあらゆる人間関係について考察した物語なのだ。

「表面的な出来事を記すだけで留まらず、人類が蓄積してきた巨大なデータベースと接続しながら書くという意識は、ファンタジー作家の荻原規子さんの小説指南エッセイを読んで学びました。

 例えばこの小説は、母の論理と少年漫画の論理の戦いという面もある。バトルで解決する、そのために強くなる、勝ち負けを重視する……という少年漫画の論理を拡大していった延長線上に、極論ですが戦争もあるような気がしています。母の論理がそれに待ったをかける。命を作る立場からすると、〝いやいや、人一人作るのにどんぐらいコストかかると思っとん?〟となりますから」

 設定は斬新だが、メッセージには強烈な普遍性が宿る。シリアスに寄りかかりすぎず、要所要所で挿入されるコメディセンスも抜群。人類の歴史と物語のデータベースを味方につけた、頼もしい新人の登場を喜びたい。

「自分と関わってくれた方々の人生に何かしらいい影響を及ぼしたい、という気持ちはこれまで経験してきたどんな仕事に対してもあるんです。それと全く同じ気持ちで、これからも小説を書き続けていきたいです」


レペゼン母

講談社

山間の町で梅農園を経営する深見明子は、借金まみれの一人息子・雄大の行く末に頭を悩ませる。放蕩のすえに沙羅を伴い実家に帰ってくるも、再び姿を消す。そんな折、偶然にも雄大がラップバトルの大会に出場することを知り、明子はマイクを握ることを決意。ラップ史に残る親子MCバトルが今始まる!


宇野 碧(うの・あおい)
1983年神戸生まれ。大阪外国語大学外国語学部卒。放浪生活を経て、現在は和歌山県在住。2022年、本作で第16回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。旅、本、食を愛する。

(文・取材/吉田大助)
〈「STORY BOX」2022年9月号掲載〉

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