村上雅郁『かなたのif』◆熱血新刊インタビュー◆

希望の種を蒔く

村上雅郁『かなたのif』◆熱血新刊インタビュー◆
 デビュー作『あの子の秘密』で児童文芸新人賞を受賞し、前著『きみの話を聞かせてくれよ』は2024年度の中学の入試問題で最も多く出題された小説だったと話題を集めた、村上雅郁。最新長編『かなたのif』は、普段は一般文芸に触れる機会が多い読者やSFファンにも断然オススメしたい、「想像力」を巡る物語だ。
取材・文=吉田大助 撮影=田中麻以(小学館)

イマジナリーフレンドの側の気持ちはどうなのかな?

 書店の児童書コーナーが賑やかさを増している。『放課後ミステリクラブ』が2024年本屋大賞にノミネートされた知念実希人や、柚木麻子、額賀澪や結城真一郎といった一般文芸で活躍する人気作家たちが、児童文学を次々に発表し始めているのだ。村上雅郁は、児童文学(ヤングアダルト小説)というジャンルの特性についてこう語る。

「あさのあつこさんが『日本児童文学2016年11-12月号』のエッセイで書かれていたのですが、一般文芸と児童文芸は何が違うかというと、一般文芸は基本的に大人が書いて大人の読者に渡すものだから、書き手が負うべき責任は、ほぼない、と。でも、児童文芸はそうはいかない。大人としての責任が必ず発生する、と。例えば〝この世界はひどいから死んでもいいよ〟ということは絶対に言ってはいけないし、希望を渡さなければいけないんです。それは児童文芸を書く以上は守らなければいけない縛りではあるんですが、言い方を変えると、ここでなら臆面もなく希望を語れるということでもあると僕は思っています」

 村上は、2019年に第2回フレーベル館ものがたり新人賞大賞受賞作『あの子の秘密』(「ハロー・マイ・フレンド」改題)でデビューした。5作目となる『かなたのif』は、これまで作家が扱ってきたモチーフやテーマが無数にちりばめられている。例えば、タイトルの「if」には幾つもの意味が重ね合わされているのだが、その一つはデビュー作でも描かれていた「想像上の友達」、イマジナリーフレンド(if)だ。

「子どもたちを描いた物語の中に登場するイマジナリーフレンドって、どうして主人公が成長するために消費されるだけの存在なのだろう、と昔から疑問に思っていました。イマジナリーフレンドは主人公の心の中から生まれた空想の一部だと捉えられているから、人だとは思われていないし人権もない。でも、その子にとっては本当の友達だし、本物の存在なわけじゃないですか。〝イマジナリーフレンドの側の気持ちはどうなのかな?〟という発想から生まれたのが、デビュー作のお話なんです。その発想を、テーマ的にもお話の仕掛け的にも一回り大きなものとして書いてみたいと思って書き上げたのが『かなたのif』でした」

あらゆる物語は全部本当のことなんじゃないか

 物語は、中学1年生の2人の少女の視点をスイッチしながら進んでいく。まず最初に現れるのは、遠野香奈多だ。

「作中には明示していないけれど、香奈多はADHD、ASDの傾向がある女の子をイメージして書いたキャラクターです。目の前のことにグッと集中してしまって周りが見えなくなったり、今やらなければいけないこととは全然関係ないことを考えてしまったりする。周囲の視線によって辛いと感じることがあるかもしれないけれども、ありのままでいいという思いも込めて、こういった女の子から見た世界を書いてみたかったんです。香奈多が香奈多のままでいることで何か不都合が起こるんだとしたら、改善すべきは社会というか仕組みのほうであって、悪いのは子どもであるはずがないんです」

 一学期の終業式の日、香奈多は学校の近くの雑木林の階段をのぼったところにある秘密の場所で、友だちがほしいと強く願う。すると、同じ制服を着た女の子が目の前に現れる。彼女は今井瑚子と名乗り、「友だちになってくれる?」と声をかけてきた。来週の金曜日に同じ場所で会うことを約束した刹那、少女は消える。本作のもう一人の視点人物はその少女、瑚子だ。彼女の視点からもまたその日の香奈多との出会いが語られるのだが……何かが違う。

「2人の世界はちょっとズレている、とすぐに分かるような書き方をしたつもりです。でも、パズルのピースが全ては綺麗にハマらない。前半はその歯がゆい感覚を楽しんでもらえればと思っています」

 本作における if のもう一つの意味は、「もしも」の世界──自分が生きる世界とは異なる世界だ。瑚子が創作し作中作として登場する、夢見ることでいろいろな世界を旅しながら「虹のしずく」を探す黒ネコ・ドコカの物語が、最初のガイダンスとなる。香奈多の家庭教師であるみりんくんは「可能世界論」を嚙み砕いて説明し、哲学的なアプローチからも「もしも」の存在の可能性が補強されていく。

「哲学分野での可能世界論もそうですが、物理学の多世界解釈や数学的宇宙仮説などに触れて、世界は今ここにあるものだけではなくて、無数に存在しているんだというイメージが自分の中で納得できるようになったんです。そのイメージと、小さな頃から物語を読んでいて感じた〝本は別の世界に繫がる扉だ〟という考えが重なっていって、〝あらゆる物語は全部本当のことなんじゃないか〟という価値観が生まれてきました。その価値観を大元に据えた、SFでもあり神話でもあるようなお話なんです」

 ここまでの文章を読んでネタの中身は完全に分かった、と感じた人がいるかもしれないが、その想像は必ず、読めば覆されると断言したい。ただし、〝2度目〟の衝撃が訪れるのは、総ページ数のちょうど半分あたりだ。そこから先の展開こそが、本作の真価だ。

物語を通して希望の種を蒔く

「多世界解釈とか宇宙論の話を家でしている時に、母が亡くしたばかりの猫について〝じゃあ別の世界では、まだ元気で生きているの?〟と言ったんです。その時に自分の感じた痛切さが、『かなたのif』の核にあります」

 小説の後半部にこんな一文がある。〈もしもという夢にすがって、現実から逃げようとしている〉。「もしも」を想像することには、ネガティブな側面もある。

「大切な人を亡くした時に、〝あの人が今生きていたらなんて言うかな〟って、誰でも一度は想像すると思うんです。そこで〝やっぱり生きていてくれたら良かった〟となってしまえば、現実が余計に辛くなってしまうかもしれない。もしもの想像は、希望になるとは限らない。でも、そこで止まらずにもっともっと想像を突き詰めていけば、希望が見えてくるはずだという予感があったんです」

 香奈多と瑚子が互いの存在を思いやる中で、想像を先へ先へと羽ばたかせていった果てに、美しいクライマックスシーンが現れる。

「外から見たら決して分からないけれども、香奈多と瑚子の中ではこれだけの大きな宇宙が広がっていて、ドラマチックなことが起きているということが、読者にはちゃんと伝わるはずです」

 ここには、確かに、希望がある。

「小説を書き始めた頃に書いていたものは、ただただ書いていて楽しいというだけのお話でした。それから何作も書き続けていってフレーベル館から賞をもらい、編集者の方からアドバイスを受けて改稿していく過程で、自分は何を書きたいのか、何を伝えたいのかってところが確立されていきました。自分が書きたいものは、やっぱり希望なんですよね。『かなたのif』で書きたかった希望は、人は「他者(だれか・なにか)」を内側に宿すことができる、ということ。そして、究極的にはだれもが「ひとりぼっち」であるこの世界で、心から大切だと思える「他者(だれか・なにか)」と出会うことこそが、人間の生きるよろこびであり、そしてその可能性は万人に開かれているということです。この社会に溢れている問題や、子どもたちを取り巻いている現実のしんどさと向き合ったうえで、それでも希望を語る。物語を通して希望の種を蒔く、そういう仕事を僕はしたいんです」


かなたのif

フレーベル館

友だちのいない香奈多と、友だちをなくした瑚子。中1の夏、ふたりは、秘密の場所で出会った。瑚子がつむぐ夢渡りの黒いネコ、ドコカのお話。眠りの中で、いろいろな世界をおとずれるドコカは夢渡りのネコ。願いがかなう「虹のしずく」を探して、ひとりぼっちの誰かの前に現れる──香奈多はその物語を聞くなかで瑚子を知り、大切な友だちだと思うようになる。瑚子もまた香奈多と物語を分かち合う喜びを感じた。ある日、香奈多は信じがたい事実を同級生から突きつけられる。悩んだ末に、瑚子に会って自分の気持ちを伝えようとするが……。 物語をなぞるように重ねた「もしも」のはてで、ふたりが見つけた宝物とは──。


村上雅郁(むらかみ・まさふみ)
1991年生まれ。鎌倉市に育つ。2011年より本格的に児童文学の創作を始める。第2回フレーベル館ものがたり新人賞大賞受賞作『あの子の秘密』 (「ハロー・マイ・フレンド」改題)にてデビュー。2020年、同作で第49回児童文芸新人賞を受賞。2022年、『りぼんちゃん』で第1回高校生が選ぶ掛川文学賞を受賞。ほかの作品に『キャンドル』『きみの話を聞かせてくれよ』(すべてフレーベル館)。


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