著者の窓 第42回 ◈ 嶽本野ばら『ピクニック部』
50代になって生まれた戸惑い
──『ピクニック部』は2019年刊行の『純潔』以来、5年ぶりとなる小説作品。まさにファン待望の一冊ですね。
エッセイの執筆などはコンスタントにあったのですが、小説を単行本として発表するっていうのが5年ぶりで。そんなに間が空いていたことに、自分でもちょっとびっくりです。この5年の間に、50代になってしまったんですよね。正確にいうと『純潔』を出した時点ですでに50歳を超えていたんですけど、執筆時はまだ40代だったから。50代の意識で書いた小説はこの『ピクニック部』が初めてということになります。
──年齢を重ねたことが作品に与えた影響はありますか。
それはすごくありましたよ。若い頃は自分が長生きするなんて思ってもいなかったから、50代のプランが全然なくて。いざなってみて「もう初老じゃん」と呆然としました(笑)。僕はデビュー作の『ミシン』の頃から、ロリータファッションが好きな高校生くらいの女の子の話を書いてきたんです。でも50代になってそれを〝我がこと〟として書き続けるのは、さすがに無理があると思います。今の10代、20代の子たちとは育ってきた環境や、見てきたものがあまりにも違っているし、無理して書いたってお互い共感できるものにはならない。40代から徐々にそういうことを感じるようになって。50代にいたっていよいよ何を書いたらいいのか、考え込んでしまったんですよ。
──『ピクニック部』のあとがきでも、「かつて『ミシン』や『エミリー』を書いた時のよう、10代の読者とシンクロして物語を紡ぐのが困難になっていました」と告白されていますね。
作家って年齢とともに書く内容やテーマを変えて、ステップアップしていくのが普通だと思うんですね。でも僕は一貫して「可愛い」をテーマにしてきたし、それを今さら変えることはできない。年齢相応のテーマにはあまり興味がないですし。そうはいっても、若い頃と明らかに変わってきた部分もあって、たとえば昔はライブハウスに日常的に足を運んでいたのに、最近はあまり興味がなくなって、むしろコンサートホールでクラシックを聴いている方が楽しいんです(笑)。京都に住んでいるのを幸いに、これまで見ていなかった有名なお寺や神社を巡ったり、文楽や日本画の良さが分かってきたり……。そんな初老になった自分が「可愛い」をテーマに小説を書く。その落としどころを見つけられるまでが、なかなか大変でした。
新たな手応えを掴めた「ブサとジェジェ」
──1作目に収められている「ブサとジェジェ」は、ロリータファッションブランド Jane Marple を長年追いかけてきた50代女性ジェジェと、沖縄に住む高校生ブサとの交流を描いた物語です。
僕はもうブサの気持ちになって書くことはできない。でも50代のジェジェの視点で書いてみたら、意外なほどしっくりきたんですよ。僕はよくロリータの第一人者みたいな扱い方をされるんですが、自分ではもう現役だとは思っていなくて。昔からあるメゾンの動向はチェックしていますが、新しいブランドまでは追えていないし、ロートルだという自覚もあるんですね。でも「可愛い」へのこだわりだけは、若い世代に絶対負けないという思いもあって。その自負や諦めを、ジェジェという人物に託して書くことができたんです。
──「ブサとジェジェ」を書くことで、落としどころを見つけられたんですね。
『純潔』までを前期・嶽本野ばらだとするなら、「ブサとジェジェ」以降は後期・嶽本野ばら。そういってしまっていいくらい、僕の意識のうえでは違いがあります。「ブサとジェジェ」はなかなか発表の場が見つからなかったんですが、絶対世に出したいと思って、各出版社の編集さんに読んでもらいました。その多くが僕の小説を読んでいて、今は出版の仕事に携わっているという若い人たちです。かれらがリレーのように原稿を伝えてくれて、「三田文學」への発表が叶いました。
──遠く離れて暮らす2人の女性が、フリマアプリを使って距離を縮めていくという設定も面白いですね。
実際にはここまで密な交流をする人は珍しいと思うけど(笑)。業者が入ってくる前の、初期のネットオークションもこういう雰囲気だったんですよ。ロリータに限らず、同じ趣味の人たちがのみの市みたいに集まって、和気藹々と交流していた。オークションで知り合いから落札したお洋服で合わなかったものを出品して、そしたら別の知り合いがそれを落札して、という感じで、狭いサークルの中でお洋服がぐるぐる回っている、ということもあったようです。
中高年は〝可愛いの休火山〟。いつ噴火するか分かりません
──2番目に収められた「こんにちはアルルカン」は、長年勤めていた会社を定年退職した女性・ミカヅキが主人公です。
それでも50代って世間だと「まだまだお若いですよ」といわれがちなんです。初老と呼ぶにはまだ中途半端。だったら還暦の女性を主人公にして、可愛い小説を書いてみようと思ったのが「こんにちはアルルカン」です。50代が書けたのなら、逆サバを読んで還暦だって書けるだろうと。その意味では「ブサとジェジェ」の存在があって、初めて書くことができた作品ですね。
──ずっと可愛いものへの思いを秘めてきたミカヅキが、人生で初めてゴシックロリータのショップに足を踏み入れる、という胸躍る物語になっています。
可愛いを愛する気持ちは、大人になってもお年寄りになってもなくならないと思いますし、なくす必要もないと思うんです。可愛いのベテランが世の中にたくさんいる方が、楽しいじゃないですか。若い頃を可愛いの活火山だとすると、ミカヅキのような世代は休火山。でも休火山だってマグマをふつふつと秘めているわけですからね。いつ噴火したっておかしくはない。僕の読者でも結構いるんですよ。ずいぶんこの世界から遠ざかっていたけど、僕の小説を読んで爆発してしまいました、という方が(笑)。
──人生の節目を迎えたミカヅキが、高校時代の親友・カヲルに語りかける「こんにちはアルルカン」では、氷室冴子の少女小説『さようならアルルカン』が重要な役目を果たします。
氷室冴子さんって、実はこれまでちゃんと読んでいなかったんです。僕が中高生の頃はコバルト文庫の全盛期で、同級生の女の子はみんな氷室冴子さんを読んでいました。そのせいで妙な反発心を抱いちゃって、「こっちが本物の文学なんだよ」と太宰や芥川を読んでいたんですが、あらためて氷室さんを読み直してみると、まあすごいんです。文章がめちゃくちゃ上手いし、テーマも純文学といっていいくらい深くて、ぼろぼろ泣いちゃいました。僕は吉屋信子の影響を公言していますが、氷室さんも吉屋信子を読んで少女小説を志したというのを知って。吉屋信子、氷室冴子、『マリア様がみてる』の今野緒雪、そして嶽本野ばらという少女小説の系譜があるんだということを、読者にも伝えたかったんですね。
人生を現役で生きている人に、言葉を届けたい
──表題作の「ピクニック部」は3つのパートからなる青春小説。200ページ近いボリュームがあり、長編といってもいいほどですね。
ここまで長くなる予定はなかったんです。最初は第1章まで、主人公の善悟郎が憧れの乃梨子先輩にバレンタインのチョコを渡すところで完結していたんですが、そのうちにスピンオフを書きたくなって、乃梨子先輩視点のパートを付け加えました。そしたらまた続きが気になってしまって(笑)。第3章を書き始めたら、これが書いても書いても終わらないんです。善悟郎たちの高校卒業後の進路まで書くことになったのは、自分でも意外でしたね。
──主人公の源治善悟郎は可愛いものが大好きで、礼節を重んじる男子高校生。彼は体育会的なノリのワンダーフォーゲル部に反旗を翻し、ピクニック部を創設します。
作品の冒頭で善悟郎が自分なりの可愛い哲学を語りますよね。あそこが一番に書きたい部分だったんです。さっきもいいましたが、僕は可愛いものを長年見続けてきて、それについては誰よりも権威だという自負があります。みんな気軽に可愛い、可愛いというけれど、僕にいわせるとそれは初級レベルだよ、本物の可愛いとはこういうことだよ、と訴えたかったんですね。善悟郎がやたらに礼節を重んじるのは、自分でも気がついて、年を取って説教くさくなったのかなと思ったんですが、先日久しぶりに『下妻物語』を読み返したらすでに同じようなことが書いてあって(笑)。基本的にはずっと変わっていないんだなあと。
──ピクニック部の主な活動は、学校の近くにある山を散策して、善悟郎が作ってきたお弁当を食べること。それにしても嶽本さんがアウトドアの楽しさを書かれるとは、ちょっと意外でした。
自分でも意外です。若い頃は退廃的な生活を送っていて、運動なんて死んでもするものかと思っていましたけど、50歳を超えたあたりから健康にも気を遣うようになって。トレッキングしちゃおうかな、と。試しにやってみたら山歩きにハマってしまって、一時は毎週のように登っていました。楽しく歩いていたら日が暮れてきて、遭難しかけたり(笑)。靴もいつものロッキンホースじゃなくて、アディダスのトレッキングシューズを履いて、服もノースフェイスの上下を着ています。「ピクニック部」にはそんな山歩きで感じたことが、いろいろ反映されています。
──「ピクニック部」の3つのパートはそれぞれ善悟郎、彼の思い人である乃梨子先輩、そして2人を見守る里美先輩が綴った手紙の形式をとっています。そのことが清々しくも切ないこの物語を、いっそう奥深いものにしていますね。
コロナのせいもあって読者の方々と会う機会がしばらく減っていたんですが、去年くらいからまたサイン会ができるようになって、作品を書くモチベーションをあらためて与えてもらったんです。直接読者の方を前にすると「この人のためにこういうことを書かなきゃいけない」というイメージが明確になるので、意識が全然違ってきます。自分としてはこう書きたいんだけど、違った受け止め方をされそうだから表現を変えようとか、ここでは漢字を使いたいけど、読みにくいから平仮名にしようとか。そういう機会を与えてもらえたのは、書き手として幸せなことだったと思いますね。「ピクニック部」が長くなっていったのには、そういう読者のための配慮という事情もあったんです。
──なるほど、作品自体が読者に宛てられた手紙ともいえるんですね。『ピクニック部』に収められた物語が、なぜ心を揺さぶるのかが分かった気がします。
僕はあとがきで「小説は若い人達の為にある」と書きました。それは実際そうなんだけれども、僕が読者として想定しているのは実年齢の若さより、生きることに現役であり続けている人たちです。人生の現役を退いて、隠居している人たちが気晴らしで読むような小説は僕には書ける気がしないし、また書く気もありません。生きることを現役でしている人のために、切実で深い言葉を贈りたいと思っていますし、それは後期・嶽本野ばらになっても変わりません。『ピクニック部』がそういう人たちに届けばいいなと願っています。
『ピクニック部』
嶽本野ばら=著
小学館
嶽本野ばら(たけもと・のばら)
京都府宇治市生まれ。1998年にエッセイ集『それいぬ──正しい乙女になるために』でデビュー。2000年に初の小説集『ミシン』を刊行。03年『エミリー』で、04年『ロリヰタ。』で三島由紀夫賞候補。主な著書に『鱗姫』『下妻物語』『ハピネス』『純潔』、エッセイ集『ロリータ・ファッション』などがある。