翻訳者は語る 山田 蘭さん
昨年、史上初の年末ミステリランキング四冠に輝いた『カササギ殺人事件』。編集者スーザンの回想で幕を開け、一転、アガサ・クリスティのオマージュに満ちた同名の本格ミステリが展開し……。前半の作中作は五〇年代が舞台、後半の現代パートでそのミステリ作品の謎を解く。精緻な仕掛けと全編に溢れるミステリ愛、「一粒で二度美味しい」構成に唸った読者も多いはず。その魅力に迫ります。
〈ほとんど恋でした〉
原書は、編集者の方から出版検討のための下読みを依頼されて読み始めました。一読して夢中になり、長大なレポートを書いて熱烈に推し、版権が取れたという連絡をいただくまで、ずっと一日五回くらい『カササギ』のことを考えて気を揉んでいました。ほとんど恋でした(笑)。
著者はミステリ好きの心理をよくわかっていて、読者を思うがままに振りまわし散々な目にあわせるのですが、読者もそれが心地いい。現代パートの主人公スーザンがミステリ論を語りまくるところにも惹かれ、うなずきながら読みました。
〈意図的に読みにくい文章を書く技術〉
最初に読んだ時は、ふたつの上質なミステリが入れ子になっているというだけの認識でした。訳していくうちに、思っていたよりもはるかに緊密にふたつが組み合わされていて、表と裏になっている構造が見えてきた気がします。上巻は売れっ子の職業作家が何十万人もの読者に読ませるつもりで書いた文章、下巻は本作りに携わってはいるものの文章を書くのが本職ではない編集者の独白、というところを意識して訳しました。上巻は美しく切れ味よく、下巻は率直で人間味があるものの、ちょっと素人くさい、という感じでしょうか。
いちばん難しく苦労したのは、下巻である純文学作品が紹介される部分。作者の文章は基本的に日本語にしやすいのですが、そこだけは読者の目を拒絶しているかのように読みにくく、まるで砂地を掘っていていきなり岩盤にぶつかったようでした。もちろん作者は意図的にそうしているので、その読みにくさ込みで訳さなくてはならないのですが、意図的に読みにくい文章を書くというのは、実はすごい技術なのだと思い知らされました。これまで、読みにくい文章でもできるだけ読みやすくする方向の努力しかしてこなかったので、自分にはこういうことのできる"筋肉"がまったく発達していないのだと悟り、悔しかったです。
〈「みんな、ミステリが好きだよね?」〉
上巻で「黄金時代の謎解きミステリ」を完璧に再現、下巻ではいかにも現代的なミステリ業界を描く。そして、主人公を最後に支えるのはミステリへの愛です。虚構の美しさを楽しむだけでなく、その裏の現実をつい覗き込んでしまうところが、実に現代らしい作品だと思いますし、最後の支えとなるのが黎明期、黄金時代から現代へ脈々とつながるミステリへの変わらぬ愛情というところに心を揺さぶられます。さらに、上質なミステリを題材としたミステリ論としても楽しめる。
本作が評価されたのは、作品自体のおもしろさに加え、作者の「みんな、ミステリが好きだよね?」という問いかけに、読んだ方たちが「大好きだよ!」と大きな声をあげてくださった結果だと思っています。読書は基本的に孤独な行為なので、こうして同じものを愛する人たちの熱量がひしひしと伝わってくる感覚がとても嬉しくて、じーんとしました。
〈主人公に自分の姿を重ねて〉
両親が海外文学志向で、私に与える児童書も大半が翻訳書、祖母も海外の冒険小説が大好きで、幼い私にしてくれるお話は『巌窟王』や『十五少年漂流記』。自然と海外文学を中心に読むようになり、小学校高学年の時に自分のお小遣いで初めてクリスティの本を集め出しました。
中学生の頃、たまたま柴田京子さんという翻訳家と出会い、あまりに素敵で恰好よく、楽しそうに仕事をしている姿に憧れました。映画が好きで映画の本や字幕などを中心に訳していた姿を見て、それならミステリが好きな私はミステリを訳す人になろう! と、割と単純に心を決めたのを憶えています。
実は学生時代を通してずっと英語が苦手で嫌いだったので、その出会いがなかったら、いくら翻訳ミステリが好きでも翻訳という仕事を自分と結びつけて考えることはなかったでしょうね。中学生で心を決めたおかげで、苦手な英語も最低限のレベルをめざして頑張れたし、高校でも赤点を取りまくってはいたのですが、翻訳をやりたい一心で、大学も無理やり英語英文学科に進みました(笑)。
スーザンにこれほど感情移入してしまうのも、けっして名探偵の資質などないのに、ミステリが好きというだけでひたすら真相を追い求めていった姿に、英語が苦手なのにミステリが好きというだけで翻訳の道を突き進んできた自分を、どこか重ねているからかもしれません。