翻訳者は語る 大森 望さん

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第21回

翻訳者は語る 大森 望さん

 中国で三部作累計二一〇〇万部超、アジア圏初・翻訳小説初のヒューゴー賞受賞、オバマ前米大統領やフェイスブックCEOのM・ザッカーバーグが大絶賛したというSF小説『三体』。アメリカではSF作家ケン・リュウによる英訳で刊行、日本でも七月の発売前から大きな話題を呼んでいました。共訳者の一人で英日翻訳家・書評家として日本のSF界を牽引する大森望さんの役割は、「中国語から日本語に訳されたテキストを、英訳と照らし合わせながらSFに翻訳する仕事」だったといいます。


〈対岸の火事〉

 本作の存在を知ったのは四、五年前。ケン・リュウが中国SFを精力的に翻訳し始めて、『三体』というすごい作品の英訳が出るらしいと噂を聞いたのが最初ですね。あらすじを読んだ時は、「ずいぶん古くさいSFだな、どうしてアメリカで受けるんだろう」と思いましたが(笑)、その後あれよあれよという間にヒューゴー賞をとってしまった(二〇一五年)。世界SF大会参加者の投票で決まる賞ですが、この年は白人保守派の組織票運動が起きて、注目されていました。それに反発する票が『三体』に集まって長編部門を受賞し、それを機に中国でも売上が爆発的に伸びたそうです。

 とはいえ、その時も英訳版は読みませんでした。長く翻訳業をやっているとだいたい自分の守備範囲が決まってきます。僕は中国系アメリカ人作家テッド・チャンは訳していますが、ケン・リュウにはノータッチだし、中国SFにも縁がない。対岸の火事のような気持ちでした。

〈面白くなるためならなんでもする〉

 その後日本での刊行が決まり、小説の翻訳が専門じゃない人が中国語から訳した原稿が出来ていると聞いたので、「それはSFをわかっている人がリライトすべき」と版元の人に言ったんです。現代のSF、エンタテインメントとして違和感のないものにした方がいいと。でも、自分にお鉢が回ってくるとは……(笑)。

 英訳と中国語、日本語訳のテキストを比較しながら、この時初めて全文を読みました。その結果、英訳が原文にきわめて忠実だということがわかったので、これならなんとかなるだろうと引き受けましたが、いざ手を入れはじめるとあちこち直したくなってしまい、結局全体の八、九割は元の文章から改稿しました。

 冒頭の、文化大革命の内ゲバの場面の気合いの入り方にまずは圧倒されましたね。そして現代編に入るといきなり、謎の現象に主人公が右往左往するという、鈴木光司の『リング』みたいな展開になる。ケン・リュウも、「ジャパニーズ・スリラーみたい」と言っていたのですが、とんでもない大風呂敷を広げるのに加えて、『三体』の場合はSFの作法を無視して様々な要素を組み合わせ、面白くなるためならなんでもするところにも驚きました。SF的には「今どきこれはないよね」というツッコミどころもたくさんあって、最初はほんとにこれがヒューゴー賞受賞作なのかと思いましたが、ずっと原稿につき合っていると、場面場面の巧さが天才的で、マイナス点をはるかに上回るプラス点が見えてくる。

〈四つの場面を訳し分ける〉

 翻訳の際に気をつけたのは、トーンの訳し分け。本作は大きく分けると四つの場面で成り立っています。文革時代の過去パート、『リング』チックな現代パート、現代で行われているVRゲーム内のパート、そして惑星「三体」世界側のパート。原文でも、昔の農村を描くシーンでは西洋絵画のようなぬくもりがあったり、異星人の場面ではベタな描写だったり、VRゲームのシーンでは現代SF的な描写だったりと多彩な描き方なので、全てが同じトーンにならないように気をつけました。

 例えば現代パートでは、英語起源のカタカナ用語を使って、今のエンタメを読んでいる日本の読者に違和感がないように。メッセージの送受信の場面では、SFの空気感が伝わるように天体物理の専門用語を多用したり。三体世界側の場面では壮大な実験のバカバカしさを出すよう、口調なども敢えてわかりやすく類型的な表現を使ったりしました。

〈在日中国人がセールスマンに〉

 世界中でこれだけ『三体』がヒットしたのは、単純にものすごく面白かったからだと思います。ずっとSFに携わっているとその面白さに鈍感になっているところがあるのですが、SFの持つ大きなポテンシャルを改めて実感しました。

 日本では、ビジネスマンには「二一〇〇万部」「オバマ」、オタク向けにはゲームクリエイターの小島秀夫さんの推薦など、入り口とフックがたくさんあったことも大きいですね。さらに、日本にいる中国のビジネスマンがセールスマンになってくれているという現象もあるようです。中国人にとっては、ノーベル文学賞と同等くらいの「誇り」なんですよね。
 

三体

『三体』
劉 慈欣/著
早川書房

大森 望(おおもり・のぞみ)

1961年生まれ、京都大学文学部卒。訳書『クロストーク』(C・ウィリス)、『フロリクス8から来た友人』(P・K・ディック)、著書『21世紀SF1000』など。

〈「STORY BOX」2019年10月号掲載〉
本の妖精 夫久山徳三郎 Book.63
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