採れたて本!【デビュー#30】

採れたて本!【デビュー#30】

 8年あまり会社員をしていたのに、勤務先が出版社だったせいか、引継書なるものを一度も書いた記憶がない。担当作家を後輩の編集者に引き継いで関連書類を渡したときも、とくに文書はつくらなかった気がする。まあ、当時オフィスにはまだPCが普及してなかったし……と思いつつ、日ごろあまり縁のない日本の伝統的な大手企業(最近は、Japanese Traditional Company、略して「JTC」と揶揄的に呼ばれているらしい)の内情を覗き見るような感覚で、城戸川りょうのデビュー長編『高宮麻綾の引継書』を読みはじめた。

 本書の帯には「こんな会社辞めてやる!」とでっかく記され、小さな吹き出しで「そう思ったことがあるすべての人へ」と続く。帯裏の内容紹介もなかなかパワフルだ。横書き部分のテキストをそのまま引用すると、
 

 精魂込めて作り上げた新規事業が、親会社に潰された。
 理由は〝リスク回避〟 
「なんであんたたちの意味わかんない論理で、あたしのアイデアが潰されなきゃなんないのよ!」 
 怒りを爆発させた三年目の社員・高宮麻綾は、社内外を駆けずり回り、〝リスク〟の調査に乗り出す。
 忖度、義理、出世……それって昭和の話?
 いえいえ、いつの時代も会社はややこしくって面白い!

 
 ──と、たいへんテンションが高く、担当編集者の熱量が伝わってくる。

 それもそのはず、本書は第31回松本清張賞の最終候補に残りながら惜しくも選に漏れた作品、すなわち落選作(選評を読むと、受賞した井上先斗『イッツ・ダ・ボム』と最後まで争ったらしい)。にもかかわらず、ポテンシャルを買われて担当編集者がつき、セカンドチャンスを与えられ、まさに主人公の高宮麻綾を地で行くような復活を果たしたのである。

 引継書の謎をめぐる若干のミステリー要素はあるものの、小説の中身はまさしく〝令和のサラリーマン小説〟。そもそも主人公は女性なんだし、サラリーマンじゃなくて会社員とするのがジェンダー・ニュートラルな表現です──と校閲者から鉛筆チェックが入るところだが、昭和時代の明朗痛快会社員小説が令和に甦ったという意味で、これはやはり〝令和のサラリーマン小説〟なのである。

 もちろんディテールは令和らしくアップデートされているが、プロット構造や人物配置や脇役の造形に昭和の香りというか、日本の伝統的なエンターテインメント(JTE?)小説の安定感がある。

 著者の城戸川りょうは、1992年、山形県生まれ。山形県立山形東高校を経て、東京大学経済学部を卒業し、商社に就職。今年で入社10年目になる。会社勤めのかたわら山村正夫記念小説講座(現 森村誠一・山村正夫記念小説講座)に通いはじめ、仕事の合間に寸暇を惜しんで書き上げた作品でデビューを摑んだ。

 ちなみに東大では辻堂ゆめと結城真一郎が同学年、東大で1学年上の新川帆立は山村講座では後輩にあたるそうだが、最近の東大出身作家の中では城戸川りょうがたぶんいちばん長く会社員生活を経験しているのではないか。だからなのかどうか、同じ令和のビジネス小説でも、同じく東大卒の安野貴博(1990年生まれ)の『松岡まどか、起業します AIスタートアップ戦記』とは会社観が対照的。高宮麻綾のほうは、むしろ半沢直樹の直系かもしれない。

高宮麻綾の引継書
『高宮麻綾の引継書』

城戸川りょう
文藝春秋

評者=大森 望 

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