西川美和さん 第1回 インタビュー連載「私の本」vol.13

西川美和さん

映画『すばらしき世界』がまもなく公開される西川美和監督。これまでオリジナル脚本を書き続けてきましたが、初めて佐木隆三の小説『身分帳』を原案に映画を撮りました。その心の内を、大いに語ってくださいました。


オリジナル脚本を書き続けた理由

 私はいままで長編映画を5本撮ってきましたが、すべてオリジナルの脚本です。漫画やベストセラー小説の原作が大半を占める映画界のなかで、特異な存在と思われてきたところがあるかもしれません。

 でも、私自身はオリジナルにこだわったというよりも、自分が自分で話を作ったほうが監督としてすみずみまで全体像がわかるし、最後まで責任が取れるというのがあって、いままではなんとか話をひねり出してきたんですね。

 もともとアイデアがどんどん湧いて出てくるタイプではないですし、映画の仕事をし始めて20年以上経つと、どんなアプローチが自分にとって新鮮なのかと考えたりすることも多くなりました。そんなとき、ちょうどいいタイミングで佐木隆三さんの小説『身分帳』に出逢ったのです。

100冊を超える著作の真骨頂

 佐木さんが逝去されたのは2015年ですが、生前親しかった作家の古川薫さんが「100冊を超えるその著作のなかで、彼の文学の真骨頂だと思う本」として挙げていたのが『身分帳』でした。

 一般的には、連続殺人犯の逃走劇をルポルタージュ的に描いた直木賞受賞作『復讐するは我にあり』が佐木さんの代表作と言われます。私がこの本を読んだのは1990年代後半でした。当時は絶版になっていて、しかもいまのように古書を手軽にインターネットで買える時代ではなかったから、探していたら、その頃私が助監督をさせてもらっていた是枝裕和監督が本を貸してくれたのです。

 アメリカのニュージャーナリズムに影響を受けた佐木さんは徹底した取材のもと、まるで素材そのものと感じさせるように虚飾なく描いていく、その独特の筆致に引き込まれました。

人間存在の複雑さ、不思議さを描く

 そんな経緯で今回、初めて『身分帳』を読んでみたら、それが本当におもしろくて。「こんな小説が世間に埋もれているなんて、もったいない。忘れ去られてしまうのは、災難だ」という想いが心のなかに大きく湧き上がってきました。私が映画にすれば、この小説が多くの人にもう一度知られる機会になるかもしれないと、そう考えたのです。もう勝手にたすきをかけた気分でした(笑)。

西川美和さん

『身分帳』は世間を騒がせたような大事件を扱った話ではありません。過去に一人を殺した男が刑務所から出たあとのやり直しの人生という、佐木さんの小説のなかでもかなり地味な題材です。でもそこにはものすごい日常のリアリティが横たわっていて、殺人を犯した男の狂気や残虐さに焦点を当てるのではなく、社会に出されて「生き直そう」とする主人公の中に、私たちも同じ状況なら必ず感じるであろう焦りや葛藤や怒りや喜びが散りばめられている、そこがたまらなく身近で人間的な物語だと思いましたし、大きく魅かれました。

 佐木さんは生前、「人間という複雑なものを、ただひたすら追求していきたい」と随所で語っておられたと言います。作り手の端くれである私も、善と悪といった二律ではなく、人間存在の不可思議さを掘り下げていくことが自分のライフワークだと思ってきました。単純な悪人譚ではない『身分帳』は、私の心のど真ん中に突き刺さってきたのです。

タイトル『すばらしき世界』に込めた意味

 映画のタイトルは『すばらしき世界』としましたが、ここに決まるまでには多くの迷いがありました。『身分帳』ではどんな映画か想像しづらいと出資者や配給に言われて、なにか別のタイトルを考えることになったのです。とはいえ、この話を総括する言葉を見つけるのがとても難しくて。

 始めは三上という主人公を象徴するような言葉を探していましたが、じつはこの映画は、三上の個性に引っ張られて観ていきますが、描かれているのは私たちが生きている世界のほうだなと感じたのです。

 三上はこんな世界を手に入れたくて刑務所から社会に出たのかというシニカルな見方もできるでしょうし、それでも人の温かい感情に触れたり、美しいものを見ることができるのが外の世界でもあります。人間はいつの時代でも絶対的に残酷で醜いけれど、同じだけ絶対的に善性を持つ存在でもあり続ける。生きていくということは絶望を繰り返しながらその両方を引き受けていくことでしかないとふと考えたとき、その言葉が浮かびました。受け手が置かれている状況によっても、皮肉と取るか言葉通りに取るか、受け止め方が別れるタイトルだとも思います。

(次回へつづきます)
(取材・構成/鳥海美奈子 撮影/五十嵐美弥)

西川美和(にしかわ・みわ)
1974年広島県生まれ。2002年『蛇イチゴ』で脚本・監督デビュー。以降、『ゆれる』(06)、『ディア・ドクター』(09)、『夢売るふたり』(12)、『永い言い訳』(16)と続く五作の長編映画は、いずれも本人による原案からのオリジナル作品である。著書として、小説に『ゆれる』『きのうの神様』『その日東京駅五時二十五分発』『永い言い訳』、エッセイに『映画にまつわるXについて 』『 遠きにありて 』などがある。2021年、佐木隆三の小説『身分帳』を原案とした映画『すばらしき世界』を公開。


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