西川美和さん 第3回 インタビュー連載「私の本」vol.13

西川美和さん

「人間というものの複雑さ、わからなさ、得体のしれなさを描きたい」と、映画だけでなく脚本や小説も手掛けてきた西川美和監督。どのような読書歴を持ち、そしてどのように本と向き合ってきたのでしょうか。


10代で読んだ無頼派の小説

 中学生や高校生の多感な時期は、ひたすら内向的な日本文学が好きでした。夏目漱石とかから始まって、やがて太宰治や坂口安吾といった無頼派の系譜に辿り着いていった。色川武大もよく読みました。

 社会からはみ出している人を書いた話をなぜか好む傾向がありましたね。勝手にシンパシーを感じて、そういう流れで、佐木隆三さんの作品にも魅かれたのだと思います。

 私が映画『すばらしき世界』を作る際には、佐木さんのことを知りたいと思って、講談社の元担当編集者を訪ねました。お話ししてわかったのは、佐木さんは自分が時代の波に乗れない作家であり、文壇のメインストリームからは外れているというコンプレックスをお持ちだったらしい、ということです。

『身分帳』が刊行された1990年ごろはバブルの最盛期で、島田雅彦さんとか、山田詠美さん、浅田彰さんといったモダンで新しい文学や知的な評論が盛り上がっていた時代でした。村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』と同時代に、今回私が映画化した佐木さんの小説『身分帳』も書かれています。ちょっと信じられないくらい、確かに『身分帳』の中の世界観は、ひと時代古い感じがある。佐木さんは戦時中に朝鮮半島で生まれて日本の郷里の農村に引き揚げてきて、高校を卒業したら八幡製鉄で働いて同人誌から文学を始めたような人ですからね。人々がもはや興味を持てない、泥臭く、プロレタリア的なものにこだわり続けている自分は時代遅れだと佐木さん自身も思っていた。でもその一方で、人間というのはそんなスタイリッシュなものなんかじゃないという反骨心も秘めていたと、聞きました。

 私はその当時高校生で、ド派手な流行を眩しく眺めながらも、坂口安吾とかの焼け跡文学にハマってたんですよね。私個人に厳しい時代を生きた体験はないのに、どういうわけだか中心から外れたものとか、生々しい人間そのものを追求した佐木さんの作品に惹かれちゃうんですよね。

難しい本を読み、友だちとせめぎ合い、大人になる

 大学は、早稲田大学第一文学部へ進学しました。いろんな書き手を出してますからね。でもバブル崩壊後というシビアな時代背景もあってか、ちょっと肩透かしを食らったかな。映画や本が好きでしかたなくて、実業なんかどこふく風の趣味人・変人が集っていると期待していましたが、あんがいみんな手堅そうだな、という印象でした。

 そういう意味では小さなサークルで、写真を撮ったり焼いたりしているような人たちのほうが映画を観たり、ときには製作したり、自分の知らない音楽や小説を教えてくれたりという、いわゆる早稲田らしさはあったかもしれません。そういう付き合いのなかで寺山修司、ガルシア・マルケスやブコウスキーを知り、読書の幅も広がっていきました。

 自分は難しい本を読み、難しい映画を観ているのだという青臭い自意識がパンパンに膨らんで、そんな友人たちとせめぎ合い、背伸びをしながら、大人になっていくような感じだったんです。

西川美和さん

 社会に出てからは、海外の文学作品を読むことが多くなりましたね。『ガープの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』のジョン・アーヴィングとか、レイモンド・カーヴァーとか。込み入った人間関係のなかに、ありとあらゆるキャラクターの人物が詰め込まれていてとても面白いし、翻訳ならではの端的で軽やかな言葉選びや文体には、いまも影響を受けているように思います。

本は仕事の可動域を広げてくれるもの

 現在の私の趣味の読書量は、本当に少ないと思います。仕事の資料として物を読む時間がほとんどなので、最新のものや話題の本を読む機会は少ないですね。ベストセラーや有名作家ではなく、それこそ絶版になって、もう誰も手に取る機会がなくなったような本のなかに、宝と思えるような名もない読み物を見つけることがあります。

 たとえば今回の『すばらしき世界』の主役・三上は博多芸妓の息子という経歴だったので、昭和の花柳界の資料なども読んでいたんですけれど、そのなかのひとつに、昭和の初めに芸者をやっていた増田小夜さんという方が書いた『芸者』という自伝があって。一人の少女が貧困を理由にして身売りされてから芸妓として生きていく実体験が書かれているのですが、これが文体も含めて非常に読み応えがあった。作家のキャリアを持っていない人の書いたものでも、興味深いものはたくさん存在していますよね。

 いまの私はそんなふうに発想を広げるために本を手に取ることが多いですね。インプットなしにはとても書けないので、テーマに関係のありそうなものは片っ端から読みます。そうすると本のなかのたった1行が、映画の世界に繋がってきたり。だから本は、いまの私にとっては仕事の可動域を広げてくれるものというイメージです。

 そうやって読む本のなかには、この文章を真似たいと思うものもあります。佐木さんもそのひとりです。供述調書をそのまま載せたように、一人称の口述記録調で小説を書いたこともありますが、それなんかはもう完全に佐木さんのパクリです。誰も気づいてくれないんですけれどね(笑)。

(取材・構成/鳥海美奈子 撮影/五十嵐美弥)

西川美和(にしかわ・みわ)
1974年広島県生まれ。2002年『蛇イチゴ』で脚本・監督デビュー。以降、『ゆれる』(06)、『ディア・ドクター』(09)、『夢売るふたり』(12)、『永い言い訳』(16)と続く五作の長編映画は、いずれも本人による原案からのオリジナル作品である。著書として、小説に『ゆれる』『きのうの神様』『その日東京駅五時二十五分発』『永い言い訳』、エッセイに『映画にまつわるXについて 』『 遠きにありて 』などがある。2021年、佐木隆三の小説『身分帳』を原案とした映画『すばらしき世界』を公開。


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