和田靜香さん インタビュー連載「私の本」vol.17 第3回

和田靜香さん「私の本」

自分の迷いや失敗、想いを正直に語りながらも、政治というひとつの分野を座学と実践を通して深く掘り下げ、話題作を書き続ける和田靜香さん。第3回目のインタビューでは、幼少期から現在にいたるまでの日々を大いに語ってくださいました。


ハガキ投稿やミニコミづくりに精を出した若いころ

 私は千葉県で生まれて、父の故郷である静岡県沼津市で育ちました。小学1年生のころから、毎週日曜日は姉と手をつないで児童図書館に行くのが習慣でした。でも、なにを読んでいたかは全然覚えていなくて。

 ただ唯一、記憶にあるのが子供向けの落語全集なんです。いま思うと、言葉のリズムが好きだったんでしょうね。何度も何度も同じ本を読んで、なにかひとつのものを好きになるとのめり込む傾向は、このころからあったと思います。

 そして高校生になると、沢野ひとしさんの描く文章と絵が好きになります。『沢野ひとしの片手間仕事』は私のバイブルのような本で、ここに描かれたワニみたいな絵を、部屋に寝そべって真似して描いて過ごしていました。

 そのころから、音楽や映画にも夢中になります。18歳のとき雑誌「ミュージック・ライフ」に自分が作っていた音楽のファンジンを送って、そのうち「原稿を書かないか」という依頼が来るようになりました。

 ハガキ職人かというくらい、ハガキもいろんな番組に送っていて、そのひとつが湯川れい子さんのラジオ番組「全米トップ40」だったんです。毎週ハガキを書いていたのがきっかけで、20歳から湯川さんの事務所で働くようになります。家のなかを掃除したり、洗濯したりと丁稚奉公のような感じで6年半ほどいましたね。

 その間は音楽や自分の身の回りのことを書いた文章をコンビニでコピーして、ホチキスで止めたミニコミを作っては、事務所を訪れた人たちに渡していたんです。いま思うと、あやしすぎです(笑)。

 事務所には、音楽評論家の中村とうようさんの著作など、音楽関係の本もたくんさありました。いま振り返ると本当にありがたい環境なんですけれど、当時はまだ子供だったから湯川さんにすごい反抗的で、ケンカもしていました。

自分を支える言葉がなかった時代

 それから独立して、ラジオの構成作家と原稿執筆でしばらくは食べていました。でも音楽雑誌が廃刊になり、ラジオ業界も斜陽になると、どんどん仕事がなくなっていったんです。2003年頃には「自分はどう生きたらいいんだろう、明日はどうしたらいいんだろう」とか答えのない問いにずっと悩んでいて。鬱がひどくて布団から出られないときに、友だちに「家にずっといるならテレビで相撲でも観たら」と言われて興味を持ちました。相撲は一瞬で勝負が決まるでしょう? 白黒すぐ決まる。それが気持ちよくて、相撲に夢中になったんです。

 2008年から東日本大震災のころまでのアルバイト経験を綴った『おでんの汁にウツを沈めて44歳 恐る恐るコンビニ店員デビュー』とか、湯川さんの評伝を書いたりもしましたが、やはり原稿の仕事量は少なくて、苦しかったですね。40代に入る頃からいちだんと厳しくなって、そのころはほとんど本も読んでいませんでした。お金がなくて本が買えなかったというのもあるけれど、たとえ図書館で借りても、長い本が読めなかった。

 そこに読書の空白があるということは、自分の人生を支えてくれる言葉がなかったということなんだと思います。音楽も、本当に苦しかった時期は聴けなかったですしね。新しい言葉はまったく入ってこなかったものの唯一、長田弘さんの『長田弘詩集』だけは繰り返し読んでいました。

どん底で反骨を貫いた林芙美子に自らを重ねる

 それから、林芙美子の『放浪記』ですね。これは私が最も好きな本のひとつで、『放浪記』には貧乏で世のなかを憎みまくっている林芙美子が、「地球なんて壊れちまえ」みたいなことを書いているんです。どん底であらゆることを憎んで、でも書くことだけを頼りに生きているその姿が、まるで自分の人生みたいだとすごく共感して、一緒になって「地球なんて壊れてしまえ!」と叫んでました(笑)。

和田靜香さん「私の本」

 林芙美子って、すごく傲慢で嫌な人だったらしいんですよ。亡くなったときに川端康成が「この方はみんなに嫌われて本当に嫌な人でしたが、もう忘れてあげましょう」と公の場で話したというのを聞いて、「すげえカッケーなー」と。なんだかんだ言ってあの時代に女性が文章を書いてたくましく生きていた、つまりは反骨の人なんですね。私はもともとパンクとかロックが好きで、私のなかにも反骨はあるので、共感したところもあると思います。

占い、地方移住と迷走を続けた40代

 そんな状態の私に、湯川さんが「このままいったら大変だから、自宅で出来る仕事をしたらいい。占いの学校でも行ったらどうか」と提案してきたんです。占いはまったく信じていなかったけれど、友だちに「タダなら行けばいいじゃない」と言われて、意外にその先生が面白かったこともあって、教室には最後まで通いました。

 その次は「地方に住もう」と考えて、総務省の都市から過疎地への移住促進プロジェクト「地域おこし協力隊」に応募します。ライターの北尾トロさんに、そうであれば藻谷浩介さんの『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』くらいは読んだほうがいいと言われて読破したら、ものすごく勇気づけられて。「ヨッシャー、これからは地方だ! 私の選択は間違ってない!」とすごく燃えて長野県戸隠山に行ったんですけれど、結局は落ちました。

 そんな状況が長く続いたから、昨年(2021年)夏に出版された「時給はいつも最低賃金」を書いたあとも、「さっ、終わった。バイト探そ」くらいな感じでしたね。まさかこれほど多くの方に読んでいただける本になるとは、そのときは思いもよりませんでした。

(次回へつづきます)
(取材・構成/鳥海美奈子 写真/横田紋子)

和田靜香(わだ・しずか)
相撲・音楽ライター。千葉県生まれ。著書に『世界のおすもうさん』、『コロナ禍の東京を駆ける――緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(共に共著、岩波書店)、『東京ロック・バー物語』(シンコーミュージック)などがある。猫とカステラときつねうどんが好き。

「私の本」アーカイヴ

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