ロスねこ日記 ◈ 北大路公子

第2回 猫穴は埋まる?(前篇)

〈前回のあらすじ〉

 二〇一七年、ネットの世界は二つに分かたれていた。猫を持つ者と持たざる者である。持つ者は、日々その手にある猫を自慢した。SNSには持つ者のアップした猫画像が溢れ、持たざる者はただそれを眺めた。完全なる猫格差社会がそこにはあった。持たざる者は、心の真ん中にぽっかり空いた「猫穴」を抱えて生きるしかなかった。暗く寂しく深い穴である。持たざる者は考えた。いつかその穴を埋めることができるのだろうか。できるとしたら、それは一体何だろう。かつて飼ってきた猫との思い出か、あるいは「次の猫」か、もしくは椎茸か。

 椎茸?

 そう、ある日、持たざる者のところに椎茸栽培キットが送られてきたのだ。送り主は担当編集者K嬢。「何か生き物を育てることで猫の穴を埋めよ」とのお達しであった。猫と椎茸の共通性について未だ十分な議論や研究がなされているとは言い難い現状下で、持たざる者は素直に椎茸を育てた。水、水、水。水だけで椎茸は異様な成長を遂げた。わずか五日で、二十五個の収穫である。「けめたけ」と名付けたそれら椎茸を前に、持たざる者は再び考えた。味はいかなるものなのか。食べることで自分自身に何がもたらされるのか。そして「前回のあらすじ」とは、一体どこまでどう書けばいいものなのか。

 

●九月二十日

 収穫したけめたけを母に見せたところ、「うわあ! なんだか本物みたい!」との感想が寄せられた。言うまでもなく、本物の椎茸である。さらに続けて「家の中でこんなものが育つの?」と、以前大麻を押し入れ栽培して逮捕された人のニュースを見た時と同じ感想を述べていた。もちろん育つのである。

 おそらく売っているものと遜色がないと言いたかったのだろう。しかし、実際の売り物と比べると、やはり、全体的に色白で線が細い。人でいうとまだぼんのくぼがくっきり見える少年のような体型であり、猫でいうとカーテン駆け上がり期のフォルムである。ご存じだろうか、カーテン駆け上がり期。猫というのは子猫と大人猫の中間あたり、子猫の好奇心を残しつつ体が大きくなってきた頃に猛烈にカーテンを駆け上がる時期があるのだ。少なくとも、昔うちで飼っていた猫にはあった。カーテンだけでなく、なんなら壁も駆け上がり、そのまま棚の最上段に着地、最後は下りられなくなって、

「たーすーけーてー!」

 と、この世のものとは思えないかわいらしい声で鳴くのである。今、思い出しても、天使としか考えられない。

 収穫したけめたけにも、ちょうどそのような時期の佇まいがある。そんなかわいい盛りに食べてしまうのはいかがなものかとの声もあろう、育て始めてまだ五日、そこまでの愛着がないのもまた事実である。躊躇なく、ほうれん草と一緒にバター炒めに。ただし、いつもは適当に塩胡椒をあれしてバターをそれするところを、せめてもの愛情の発露として、ネットで正式なレシピを調べたところ、なんと皆言ってることが見事にばらばらではないか。

 ほうれん草を茹でる茹でない、オイスターソースを入れる入れない、サラダ油を使う使わない、にんにくを加える加えない、ベーコンがあれば味が変わってより美味しい(そりゃそうだろう)。

 結局、正解などないと判断して、適当に塩胡椒をあれしてバターをそれすることにしたら、案の定これが素晴らしく美味しかった。

 もちろん素晴らしいのは私の料理の腕ではなく、けめたけである。椎茸の濃い風味を残しつつも臭みはなく、ぷりぷりとした食感がみずみずしい。『美味しんぼ』の海原雄山がこの場にいたら、「旨いのは椎茸自身の手柄じゃないか。作った人間が偉いわけじゃない」と、わけのわからないキレ方をされそうな味である。やはり食材は新鮮さが命なのか。そういえばビールもビール工場で飲むと味がまったく違う。世界で一番美味しいビールは工場見学の試飲ビールであると私は常日頃考えており、いつか声を大にして訴えたいと思っていたが、せっかくだからここで訴える。

 世界で一番美味しいビールは工場見学の試飲ビールだぞ!

 バター炒めは家族の評判も上々であった。父に至っては「椎茸? これ本当に椎茸?」と確認までしていた。ただ、「茄子?」とも言っていたので、味云々ではなく、そもそも椎茸に見えていなかった可能性もある。

 

●九月二十一日

 寂しくなった椎茸の素から九個のけめたけを収穫。残りは二つになった。

 

●九月二十二日

 その二つのけめたけを収穫。これで椎茸の素は丸裸に。開始から一週間、全部で三十六個の収穫である。多いのか少ないのかはわからないが、中庸を愛する曖昧な日本人の私としては、これが平均的な数だと思うことにした。

 

●九月二十三日

 説明書によると、椎茸の素はここでひとまず休ませなければいけないらしい。二週間から三週間、栽培容器の中でそっと寝かせた後、水に浸けるのだそうだ。猫もあまり人から触られてばかりだとストレスがたまるように、椎茸にも一人の時間が必要なのだろう。

 が、椎茸が休んでいる間も、人間の方は気が抜けない。容器の中が「常に結露する程度」の水分を与えなければならないのだ。日に数度、枯れてしまったような椎茸の素に水を掛ける。ぐっすり眠っている猫を見ると「もしや死んでしまったのでは……?」と不安になって鼻先にティッシュをかざすことがあるが、死んだように見える椎茸の素も実は生きているということだろう。

 夜、一昨日と昨日に収穫したけめたけを食べた。グリルで焼こうかと思ったが、面倒になったので再び炒めたところ、前回とはまるで別物だった。決して不味いわけではないものの、風味がほとんど消えていたのだ。成長が速かったけめたけだが、収穫後の劣化も速い。これはもう採ったら採っただけその日のうちに食べ切った方がいいと思う。

 

(「STORY BOX」2018年2月号掲載)

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