今月のイチオシ本 【エンタメ小説】

『ありえないほどうるさいオルゴール店』
瀧羽麻子
幻冬舎

 物語の舞台は、運河のある北の町。具体的な名前は出てこないが、北海道の小樽を彷彿とさせるその町に、小さなオルゴール店はある。その店がちょっと変わっているのは、既製のオルゴール以外に、「ご相談いただければ、耳利きの職人が、お客様にぴったりの音楽をおすすめ」すること。耳利きの職人って? それぞれのお客にぴったりの音楽って?

 そう思ったら、読み手はもう物語の扉を開けている。

 収録されている七編は、このオルゴール店を訪れる人々のドラマを描いたものだが、とりわけ冒頭の一編「よりみち」に、本書の世界観が凝縮されている。オルゴール店を訪れるのは、母親の美咲と息子の悠人。悠人は二歳半の時に先天性の難聴であることが分かり、それから一年間、専門の教室に通っている。医者からは遅くとも四歳の誕生日までには決断を、と手術をすすめられていて、その猶予はあと半年もない。

 母も夫も「そんなに自分を責めるな」と美咲を諭す。けれど、美咲は思う。「でも、耳が聞こえる子に産んであげられなかったのは、わたしなのだ」と。大丈夫だよと伝えたい。ずっとそばにいて、守ってあげると伝えたい。けれど、自分の声は悠人には届かない。そのことで、美咲の心にはいつもぽっかりと昏い穴が空いている。そんな美咲と悠人に作られたオルゴールの音色は……。

 その音色──悠人の心の中に流れていた曲──がなんだったのか、は本書をお読みください。これがね、もう、ぐっとくるんですよ。この「よりみち」を冒頭に編んだ構成が素晴らしい。誰の心にも音楽は流れていて──たとえその本人が気づいていなくても──、音楽こそが、言葉以上に雄弁で心を映す鏡のようなものであることに気づかせてくれるのだ。

 オルゴール店の店主──良すぎる聴力で、心の中に流れる音楽さえも聞きとってしまう──に関して、その聴力のことも含め、彼の人となりを、ふわりと曖昧なままにしているところがいい。読み終えた後、自分の心の中の音楽に、耳を傾けてみたくなる一冊だ。

〈「STORY BOX」2018年7月号掲載〉
(文/吉田伸子)
評論家・西部 邁の最期の著作『保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱』
【著者インタビュー】銀色夏生『こういう旅はもう二度としないだろう』