採れたて本!【歴史・時代小説#16】

採れたて本!【歴史・時代小説#16】

 婦人解放運動家・伊藤野枝を描いた『風よ あらしよ』を発表した村山由佳の評伝小説の2作目は、1936年に愛人を殺して男性器を切断した阿部定を取り上げている。意識的か無意識かの差はあるが野枝と定は常識に抗ったアナーキーさが共通しており、著者が定を取り上げたのは必然だったのかもしれない。

 定に殺された石田吉蔵、その愛人の1人で芸者だった母を持つ波多野吉弥は、子供の頃に一度だけ定を見たことがあった。吉蔵を実の父親のように思っていた吉弥は、なぜ吉蔵が定に殺されなければならなかったのかを知るため、中学生(旧制)の頃から定を知る人物を訪ね話を聞いてきた。1967年、成長して脚本家になった吉弥は、傍若無人だが才能ある映画監督Rに定を調べていることを知られてしまう。Rに勧められた吉弥は、昔の話を持ち出されるのを嫌っている定に会いに行く。

 本書は、定の生涯を時系列に追う構成にはなっておらず、吉弥が集めた順に証言が提示され、それに対する定の感想などを積み重ねる(証言者と定の見解が対立する場合もある)ことで、次第に定の内面が浮かび上がるようになっている。

 慶應の学生に無理矢理迫られた初体験が原因で不良になった定は、17歳で父親に売られて芸妓となり、やがて娼婦になって全国を転々とする。1935年、名古屋市会議員で商業学校校長を務める男に出会った定は、自分を真心から愛し大事にしてくれる人と感じ魅かれる。だが校長は、性に貪欲な定を満足させてくれない。校長は定が小料理屋でも開けるようにするため、吉蔵の料亭を紹介した。婿養子で家業は妻に任せ遊び歩いていた吉蔵は、定の性欲を満足させるだけの技術と精力があり、2人は瞬く間に仲を深めていく。

 定は、体の相性が抜群の吉蔵を、妻にも吉弥の母にも渡したくないと思い詰めるようになり、それが事件に繫がったとされている。事件直前の定にあったのは、吉蔵への一途な愛だけなのである。

 当時は公娼制度があり、貞操を守り、多くの子供を産むのが女性の務めとされた。当時の常識に反し快楽を与えてくれる吉蔵との性愛を最優先した定の姿は、病気で左目を失い義眼になったため兵役に就けず非国民と呼ばれた吉弥、大逆罪で内縁の夫・朴烈と共に検挙され獄死した金子文子の映画を制作しているR、そして吉弥とRの関係などとも共鳴し、普遍性も絶対性もない常識や正義に縛られる危うさに気付かせてくれるのである。

 作中では吉弥とRが、事実を並べたら真実になるのか、虚構を交えても手法が正しければ真実にたどり着けるのかを議論する場面があり、秀逸な評伝(歴史)小説論になっていた。そして本書は、虚構を交えることで、定を猟奇殺人犯から解放し、1人の女性として鮮やかに活写することに間違いなく成功していた。

二人キリ

『二人キリ』
村山由佳
集英社

評者=末國善己 

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